崖っぷち漫画家はエリート弁護士の溺愛に気付かない
 焦る私を可笑しそうに見ながら高尚が言い切るが、それでも音の出所が気になって傘立てを覗き込む。
(よかった、何かを壊したわけじゃなさそう)
 私が蹴ったことで傘立てが動き音が鳴っただけだったらしく、壁や靴箱にはめ込まれている鏡が割れたわけではなかったことにホッとした。

「……あ」
 それと同時にムードを思い切り壊してしまったことにも遅れて気付く。
 しまった、と思いつつ高尚の様子を窺うと、さっきまでの雰囲気はまるでなかったかのように靴を脱ぎ、普通の顔で私の方を振り向く彼と目が合った。

「ほら。作業時間なくなるぞ」
 平然とそんなことを言われ、思わず目を瞬いてしまう。この変わり身に、一瞬さっきのは私の妄想だったのかと思うほどだが、ぽかんとしている私を見てニッと目を細め口角を上げた彼に苦笑した。いたずらっ子みたいな反応をする彼のこの姿は、どうやら今の私が独り占めらしい。
(そう思うと悪くないかも)
「すぐ行く」
 こっそり笑いながら私も靴を脱ぎ、リビングへと向かう彼の後を小走りで追いかけたのだった。
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