月とスッポン ありのままは難しい
「《道澄は、元光浄院の住持であり秀吉の御伽衆でもある山岡景友とその弟光浄院暹実らと共に復興の請願を繰り返し行い、1598年 慶長3年になり、秀吉は自らの死の直前になって当寺の再興をようやく許可がおり、遺言に三井寺の再建が記される事となりました。
これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためともいわれていています》」
「ほう」
「1599年 慶長4年には秀吉の正室である北政所が金堂を、1600年 慶長5年に毛利輝元が勧学院客殿、1601年 慶長6年に山岡景友が光浄院客殿をそれぞれ寄進で建立されています。
そして、同年の3月には徳川家康によって伏見城にあった大門と三重塔が寄贈移築させています。
と言っても、大門は元々近江の常楽寺にあった1452年 宝徳4年に建てられた仁王門で、三重塔は奈良の世尊寺鎌倉時代末期から室町時代初期に東塔として建てられたものを豊臣秀吉によって解体され、伏見城に移築された建物なんですけどね》」
「なんと言っていいものか」
「《一切経蔵も毛利輝元により寄進されて移築されたものなので、多くの協力を得て今の三井寺があると言えるのではないでしょうか?》」
「一刻も早い再建をってなった場合、作るよりも持ってきた方が早いから?でも、簡単に移動できるものじゃなくないですか?」
「確かに」