月とスッポン      ありのままは難しい

「《この建物が1078年 承暦2年1月2日の火災で焼失し、1096年 永長元年に再建され、1602年 慶長7年に淀殿の寄進で合の間と礼堂が改築され現在の形式となったそうです》」
「淀殿!茶々様ですね」

「お好きなんですか?」
「大好きです!」

笑顔で答えたのに、眉間に皺を寄せて溜息をつかれた。
解せぬ。

 
「1573年 元亀 4年2月に光浄院暹慶、山岡景友とも言います。
彼は一族が代々園城寺光浄院の院主を務めている家の4男で、景友も光浄院に入り、暹慶と号していたが、後に還俗、その後再び剃髪して道阿弥と号した僧侶であり、武将でもある人物です」
「相反する気もしますが」

「そうでもありませんよ。その時代は多くいましたから。
《その暹慶が室町幕府第15代将軍足利義昭の味方をして織田信長に背き、石山寺の南にあった石山城に立て籠ったのですが、すぐに柴田勝家の攻撃を受けて降伏している。
この合戦によって石山寺のいくつかの堂舎が被害を受けている。その後、信長によって寺領5,000石が没収されてしまったが、信長の死後に豊臣秀吉によっていくつかの寺領が返還されています。

その後、徳川家康によって寺領579石が認められ、茜が大好きな淀殿によって石山寺の復興が行われ、慶長7年 1602年には本堂の合の間と礼堂が改築され、正堂は滋賀県最古の建築物になるそうです》」
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