月とスッポン      ありのままは難しい
「でも、それはどこに住んでいてもあるものではないでしょうか?私もどこに住んでいるのかは聞かれますよ」

「23区民なら、『何区?』ってマウンドが発生しますね。まぁ、私はそもそも区民ではないので」
「ほんでも生まれも育ちも東京やねんもんなぁ。それだけで地方の人間には羨ましいもんです」

なんてくだらない話は楽でいい。

今夜の宿泊先に案内をされ、ルームキーを渡しながら
「ほんまは露天風呂付きの部屋をご案内する予定やったんですけど」
と楠木隆が申し訳なさそうに言う。

寝れればどこでも良いのだが、それを言うと紹介する側の人間にとって面目が立たないそうなので、黙っておく。

「平安時代に最澄が開湯した疲労回復や美白に効能のあるアルカリ性の温泉は大浴場でも十分に堪能できますので」

申し訳ないと他のおすすめポイントを紹介してくれる。
大浴場には行かないと知っている大河の眉間に小さく皺がよっているのを確認する。

「それは物凄く楽しみです」

目を大きく開く大河の顔に大満足しつつ、見ていない素ぶりをする。

「今まで大浴場って行ったことがなくて、初めての大浴場が最澄が開湯した温泉なんて最高です」
「初めてが当館の大浴場とは光栄です」

うん。ばっちりの眩しい笑顔。
根っからの商売人の顔だ。
ほほほ、はははという営業用の笑顔を交わす。

浴衣が部屋に用意されていたが、浴衣を正しく着こなす自信がないので、それは次回にしよう。
行ったまま服を着て戻ってこようとタオルをお風呂に持っていく用にと用意されているカバンに入れて意気揚々と出発をする。
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