凍った花がとけるとき
「それでは外出してまいります」
「気をつけて。いってらっしゃい」

 かけた言葉に「はい」と簡潔に頷くと、三崎さんは綺麗に腰を折って一礼し、執務室を出て行った。
 扉が閉まる音を聞いて、大きくため息を吐く。
 告白してから二週間以上、この状態が続いている。

 相変わらず仕事は完璧だし、気遣いも素晴らしい。昼食は今まで通りこの部屋で食べてくれるようになったし、仕事柄やはりその方が便利だったのかパーテーションは常に開いている。
 これまでと、一見変わらない日々。
 でもそれはどちらかというと、まるで「俺のことなんて微塵も意識していません」と言いたいがために、今までと同じ態度を取っているように感じられた。
 
 告白すると決意して、もうすぐ一ヶ月。
 多少計画が崩れたとはいえ、告白した結果がまさかこんなことになるとは思わなかった。
 途中まで読んだ、営業部から上がってきた報告書をデスクに投げ出す。報告者は帆足拓実。これもまた気掛かりの一因だ。
 本人は否定していたけれど、帆足が三崎さんに好意を抱いているのは明らかだ。昼食を一緒にとることはなくなったけれど、この前は仕事後に二人でカフェで話しこんでいるのを見かけて、頭の中が真っ白になった。

 それ以来、会食や打ち合わせにも三崎さんに同席してもらうようにしているけれど、まさか毎日連れ回すわけにもいかない。というか、このままだと残業が多すぎて部署移動を希望されてしまうかもしれない。
 どうしたものか、と頭を抱えながらも今日は立食パーティーに同席してもらうことになっている。彼女が今でかけたのは、その準備のためだ。
 見かねた北條からは「押してもだめなら引いてみたらどうですか」と言われた。けれどそんなことをしたら、帆足に掻っ攫われそうで、とても実行できそうもなかった。



「副社長、ただいま戻りました」

 帰ってきた三崎さんを見て、思わず息を飲んだ。
 シックな黒いドレスは、肌の露出は少ないけれど、彼女の腰の細さを引き立てていたし、髪をアップでまとめているせいで露わになったうなじは、ドレスと対照的に真っ白だ。

「準備はお済みでしょうか」
「あ、うん」

 淡々と確認をしてくる彼女に、ドキドキと高鳴る胸をごまかしてなんとか答える。

「車は正面にまわってもらうように、さっき手配したよ」
「申し訳ありません、ありがとうございます」

 先方への手土産を、三崎さんの手から受け取る。

「私が持ちますので」
「いいから、さ、行こう」

 いつもより高いヒールを履いているから、目線が近い。どきどきする鼓動を誤魔化しながら、綺麗に伸びたまつげを見つめる。
 その細い腰に手を添えてエスコートしたい、と思いながら、結局触れられず、そっと手を下ろした。

 パーティー会場に着くと、方々から声を掛けられる。
 自分の手が届かない範囲は三崎さんが相手をしてくれているけれど、あちこちの男たちが彼女を見ている気がして、落ち着かなかった。
 いつも控えめな立ち振る舞いながら、色白な肌に艶やかな黒髪、ほっそりした手足。ひとつひとつは大きくはないけど、完璧に配置された顔のパーツから、美しい人だなと思っていた。けれど彼女の奥ゆかしい態度も相まって、その魅力に気づいている人は少ないように感じていた。
 けれど、今日の彼女は、どこからどう見ても美しい。
 
 三崎さんは、手にしたシャンパングラスにほとんど口をつけていないようだったけれど、少しだけ目元が赤い気がする。
 商談相手が途切れた隙に、そっと近寄って「今日はそろそろ切り上げるから」と伝えれば、首を傾げるように見上げられて、思わず目を逸らした。

「宜しいんですか」
「うん。だいたい挨拶できたし大丈夫」
「かしこまりました」

 と言って彼女は主催者の方に向かう。お暇の挨拶をするために後に続いた。今回のパーティーの主催はやり手の若手実業家だ。一瞬たりとも三崎さんと二人きりで話をさせたくなかった。
 やはり三崎さんに色目を使いそうな主催者をやり過ごし、待機させていた車に乗り込む。もう二十一時近かったので、まず彼女の家に送ってもらうことにした。こんな時でも三崎さんは会場近くの駅まで乗せてもらえれば十分だという。そんなところが好ましいのだけれど、ドレスアップした格好であちこちを歩かせたくない。
 交通費の精算が面倒になるだけだから、と説得したものの、車内での彼女は極めて静かだ。時々今日の感想を話す自分に、少し意見を口にするだけ。それでも車が住宅街に入ってしばらくすると、「ここで大丈夫です」と三崎さんが声を上げた。運転手がブレーキを踏んで、車が緩やかに停車する。

「いいの?」
「はい、そこを曲がったところなので」

 確かに、彼女が指差した先は少し道が狭いようだった。
 いったん車から降りて、三崎さん側に回った。外からドアを開け、手を差し出す。遠慮がちにその手が取られて、三崎さんが車から降り立った。

 不自然にならないように、手の甲に指を滑らせる。
 けれど、すぐにぱっと手を離されてしまった。

「ありがとうございました。わざわざ送っていただいて」
「気にしないで。遅くなっちゃったから早く休んでね」

 仕方ないので、紳士のふりをしておく。最も、もうだいぶできていなかったけれど。
 三崎さんは車が見えなくなるまで立ち去らないだろう。おとなしく車内に戻ると、車は滑るように発進した。やはり右折するまで彼女の姿はバックミラーに映っていた。
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