凍った花がとけるとき

3.塗り替えられる記憶

 副社長は、危険だ。わたしの直感がそう告げている。
 仕事のうえでは、変わらず誰よりも信頼している。
 けれどあの告白――といっていいのかわからないけれど――のあとから、副社長はわざとスキンシップを増やしているような気がする。
 資料の受け渡しの際にさりげなく手を触ってきたり、エレベーターや車に乗る時にそっと背中や腰の近くに手を添えられたり。やたら丁寧なエスコートをしてくれる。
 そのどれもがスマートで嫌らしい印象を与えないのは、副社長に備わっている育ちの良さに加え、こちらの反応を細かく覗ったうえの行動だからだ。
 (はた)から見たら、こんなに理想的なひとはいないだろう。
 仕事ができて、見た目が美しくて、気遣いもしてくれる。
 セクハラだなんだと気にならないのは、わたしも副社長に惹かれているからだ、ということには、自分でももう気づいていた。
 たぶん、副社長も察しているような気がする。
 本当に嫌だったら、わたしはその手を避け、部下に手を出さないでくださいと、釘を刺しているはずだ。それをしないどころか受け入れてしまっている時点で、あんなに聡い人に気づかれていないわけがない。
 ただ、いつも見られている感覚はあった。ふとした時に、目が合う頻度が上がったし、まるで常に見守られているような――。
 けれど、わたしは副社長の言葉を心の底から信じることができなかった。
 大体、突然あんなふうにさらりと好きだと言われて、信じることができるだろうか。

 ただ最近変化があった。その変化にわたしはいっそう戸惑っている。
 なぜなら、二人きりになったタイミングで、ことあるごとに「好きになった?」と聞いてくるのだ。
「人間的には好きですよ」とか「上司として好きです」と返しているけれど、その甘い声で、耳元で囁かれると、わたしの心はぐらぐらと揺れてしまう。
「はい、好きです」と答えてしまいたくなる。

 でもわたしは決めたのだ。
 もう誰も好きにならない。誰とも恋愛はしない、と。
 それに副社長は、この会社を背負って立つ人で、一時(いっとき)とはいえ、そんな方と恋愛関係になるなんて考えられない。あり得ない。
 そもそも「好きになった?」と聞かれるたびに、わたしのことが好きだというのも、口に出せる冗談なんじゃないかと思ってしまう。
 ただ今更、本気なんですか、と聞くこともできず、わたしは副社長の言葉を聞かなかったように振る舞っている。副社長にも特に何も言われないのをいいことに。
 冗談だとごまかされても辛いし、もしも本当だったとしても――。
 突然別れを切り出されるのも十分辛かったけれど、結末が見えている恋だって、きっと同じくらい辛いのだろう。

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