凍った花がとけるとき
「三崎さん、ちょっといいかな」
副社長はわたしの気持ちなんてお構いなしなので、こうやって今日も当たり前のように声がかかる。いや九割は真面目な仕事の話だから、なんの問題もないんだけれど。問題は、残りの一割だった場合に、少しだけ喜んでしまうわたしのほうだ。
「今日この後、空いてる?」
訪問先のオフィスを出て、ビル内を駐車場に向かって歩み始めたとき、まるで内緒話をするように耳元で囁かれた。
仕事の予定は入っていないと伝えると、副社長はよし、と拳を握った。
「じゃあ、こっち」
そう言って、副社長は急に進行方向を転換した。
慌てて後に続く。来たときとは逆方向のエントランスへと向かい、エレベーターに乗せられる。
「どうしたんですか」
「ちょっと散歩して帰ろうかと思って」
「え、渡辺さんは……?」
運転手が待っているのではないか、と訊ねると、副社長はまるでいたずらが見つかったかのように笑う。
「大丈夫。時間潰してもらうように言ってあるから」
一体いつの間に。顔を顰めているうちに、エレベーターは屋上に到着した。
ガラス戸を押して、外に出る。冷たい外気に晒されて、思わず首を竦めた。
「寒いよね、はい。マフラー」
いつの間に取り出したのか、カシミヤのマフラーをぐるりと首に巻かれた。ネイビーのそれは上質な肌触りだったけれど、それ以上に副社長の香りがかすかに感じられて、落ち着かない。
「あ、ありがとうございます」
「まだ寒い?」
「大丈夫です」
慌てて首を振る。そのせいで、より顔がマフラーに埋まってしまった。鼻腔をくすぐる副社長の香りがいっそう強くなって、頭がくらくらした。
「こっち」
屋上庭園として、憩いの場となっているらしい。
手を引かれて、デッキに出た。
「すごい……!」
思わず声を上げていた。冬の空はもう暗くなっていて、街並みが、イルミネーションのように輝いている。そして屋上の中心にはライトアップされた大きなクリスマスツリーと、光のアーチがかかっていた。白く、淡い光に満ちて幻想的だ。
「今週からイルミネーションが始まったんだって。せっかくだから」
そういわれて思わず頷く。ふと視界に、掴まれたままの手が目に入った。
視線に気づいたのか、副社長はわたしの指一本一本に絡めるよう手を繋ぎ直すと、こちらを見る。
一気に顔が熱くなって、また副社長のマフラーに顔を埋めた。
「来年は、あっち側から見たいね」
そう言って副社長は、ちょうど向かいに広がる街並みを指差した。あの辺りには、今真瀬が建設中のビルがある。副社長が担当している案件だ。
「どちらかというと、夜景を眺めているお客様を見たいです」
「そうだね。来ている人がみんな笑顔になってるといいね」
「はい、大丈夫だと思います」
「じゃあ来年、一緒に見に行こう」
ぎゅっと握った手に力が込められる。はいーーーと頷こうとして、けれどわたしは上手く返事ができなかった。
それは秘書として、お供をすれば良いんですよね、と心のなかで訊ねた。でもそれを、口に出して確認したくない。
ただ、副社長の横顔は見惚れてしまうほど格好よかった。
副社長はわたしの気持ちなんてお構いなしなので、こうやって今日も当たり前のように声がかかる。いや九割は真面目な仕事の話だから、なんの問題もないんだけれど。問題は、残りの一割だった場合に、少しだけ喜んでしまうわたしのほうだ。
「今日この後、空いてる?」
訪問先のオフィスを出て、ビル内を駐車場に向かって歩み始めたとき、まるで内緒話をするように耳元で囁かれた。
仕事の予定は入っていないと伝えると、副社長はよし、と拳を握った。
「じゃあ、こっち」
そう言って、副社長は急に進行方向を転換した。
慌てて後に続く。来たときとは逆方向のエントランスへと向かい、エレベーターに乗せられる。
「どうしたんですか」
「ちょっと散歩して帰ろうかと思って」
「え、渡辺さんは……?」
運転手が待っているのではないか、と訊ねると、副社長はまるでいたずらが見つかったかのように笑う。
「大丈夫。時間潰してもらうように言ってあるから」
一体いつの間に。顔を顰めているうちに、エレベーターは屋上に到着した。
ガラス戸を押して、外に出る。冷たい外気に晒されて、思わず首を竦めた。
「寒いよね、はい。マフラー」
いつの間に取り出したのか、カシミヤのマフラーをぐるりと首に巻かれた。ネイビーのそれは上質な肌触りだったけれど、それ以上に副社長の香りがかすかに感じられて、落ち着かない。
「あ、ありがとうございます」
「まだ寒い?」
「大丈夫です」
慌てて首を振る。そのせいで、より顔がマフラーに埋まってしまった。鼻腔をくすぐる副社長の香りがいっそう強くなって、頭がくらくらした。
「こっち」
屋上庭園として、憩いの場となっているらしい。
手を引かれて、デッキに出た。
「すごい……!」
思わず声を上げていた。冬の空はもう暗くなっていて、街並みが、イルミネーションのように輝いている。そして屋上の中心にはライトアップされた大きなクリスマスツリーと、光のアーチがかかっていた。白く、淡い光に満ちて幻想的だ。
「今週からイルミネーションが始まったんだって。せっかくだから」
そういわれて思わず頷く。ふと視界に、掴まれたままの手が目に入った。
視線に気づいたのか、副社長はわたしの指一本一本に絡めるよう手を繋ぎ直すと、こちらを見る。
一気に顔が熱くなって、また副社長のマフラーに顔を埋めた。
「来年は、あっち側から見たいね」
そう言って副社長は、ちょうど向かいに広がる街並みを指差した。あの辺りには、今真瀬が建設中のビルがある。副社長が担当している案件だ。
「どちらかというと、夜景を眺めているお客様を見たいです」
「そうだね。来ている人がみんな笑顔になってるといいね」
「はい、大丈夫だと思います」
「じゃあ来年、一緒に見に行こう」
ぎゅっと握った手に力が込められる。はいーーーと頷こうとして、けれどわたしは上手く返事ができなかった。
それは秘書として、お供をすれば良いんですよね、と心のなかで訊ねた。でもそれを、口に出して確認したくない。
ただ、副社長の横顔は見惚れてしまうほど格好よかった。