凍った花がとけるとき
 三年前、オープン当時に来たことが思い出された。住宅展示場が併設されているせいか、いろんな家具メーカーがこぞって出店しているのが特徴のアウトレットモールだ。来るのは、どんなベッドが良いかああでもないこうでもないと誠治と言い合いながら、見てまわった以来、だった。

 結婚したら、とりあえずわたしが誠治の家に引っ越して、しばらくしたらマイホームを購入しようと相談して決めていた。家具はマイホームと同時に揃えるつもりだったけれど、シングルベッドに二人で眠るのは狭いから、とベッドだけは買い替えようと決めていた。寝室に入るサイズのなかで、一番大きなベッドが良い、と誠治が言って、広いモール内をぐるぐるまわって候補を探し出した。ベッドもマットレスも、それに合わせたクッションカバーも買って、無事に納品されたのに、結局わたしは一回もそれらを使ったことがない。

 もしかしたら、他の女性が寝ていたのかもしれない。
 あのクッション、柄も質感も気に入っていたのに。せめてあれだけでも引き取れば良かった。

 婚約破棄されたときはあまりのショックで、頭がまわらなかったのだ。彼の家に置いてあった私物も、取りに行くのが嫌で送ってもらったものの、ほとんど確認せずにそのまま捨ててしまった。二人で買ったお揃いのマグカップがふたつとも入っていて、頭のなかが真っ白になったことだけが、未だに脳内にこびりついている。

 苦い記憶がどんどん蘇ってくる。それらを吹き飛ばすように、大きく頭を振った。

「三崎さん?」

 副社長が心配そうに顔を覗き込んでいる。

「着いたよ、大丈夫?」
「あ、はい。すみません」

 車を降りて歩き始める。副社長は渡辺さんにも好きなところを見てきたら? と勧めていた。別に三人一緒に行動してもいいのだけれど、副社長は絶対にそうしない。いつも自分に付き合わせていたら、渡辺さんも気詰まりだと思っているのだろう。確かに別行動の方がいいんだろうけれど、もし一緒に来てくれたらちょっとは流されずに済むんだろうか、と思ってしまうこともある。


 夕方まで歩き回って、やっとアウトレットモール内を一周した。仕事の時の副社長は容赦がない。視察のときは交渉相手がいないだけ、まだマシな方だ。気になるところを全部まわっていくけれど、ルートも同時に確認していくから、全く無駄な時間がない。その分、歩き疲れてへとへとになるけれど。
 もっとも副社長の視点を間近で感じられるのは、私にとっては願ってもない機会でもある。
 どんなところに注目しているのか、それを知るだけでも十分勉強になる。
 運転手の渡辺さんがもう車に戻っていることを確認して、駐車場に戻った。

「夕飯食べていく?」と誘われたけど、それは丁重にお断りした。大体土曜日に付き合わされる渡辺さんにも申し訳ない。五十代、二児の父でもある渡辺さんは、きっと家族団欒の時間を過ごしたいはずだ。副社長も同じ考えだったのか、それ以上強く誘われることはなかった。
 先日参加したパーティーの時と同じ場所まで送ってもらい、車を降りる。
 前回と同じく、車から降りるのをエスコートしてくれた副社長から、車内に戻る前に「はい」と紙袋を渡された。

「なんですか」
「おみやげ、かな」
「え! そんな」
「自分じゃ使わないから、返されても困るからね」

 そう言って、胸に抱えるほど大きな紙袋を押し付けられて、慌てて受けとめた。

「ありがとうございます」
「うん、じゃあまた来週」

 素直にお辞儀をすれば、副社長が柔らかく笑った。目尻が下がって嬉しそうな表情に、どきりと胸が高鳴る。


 家に帰って紙袋を開けてみると,中にはクッションが入っていた。
 淡いブルーの、ベルベット生地のそれは、わたしが今日無意識に目で追っていたものだ。
 完全に同じではないけれど、以前気に入って買ったものの、誠治の家に置き去りにしてしまったクッションとよく似ている。
 副社長は、どれだけわたしのことを見ていてくれるんだろう。
 もうこれで、クッションを見ても元彼を思い出すことはないだろう。
 これからはきっと、副社長のことを想ってしまう。
 あれ以来、副社長から好意を直接伝えられたことはないけれど、節々で表現される想いの深さに、わたしの足元がぐらぐらと揺れているのを感じた。
 それでもわたしは、一歩を踏み出すことができない。
 いつか別れなければならないのが、怖かった。
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