凍った花がとけるとき
どのくらい時間が経っただろうか。柱に寄りかかって大きく息を吐くと、「三崎さん」という声が、受話器とすぐそこから同時に聞こえた。
走ってきてくれたのだろうか、少しだけ前髪を乱した副社長が立っていて、その姿を見つけた瞬間にへなへなと座り込んでしまった。
副社長の暖かい手が肩に触れて、やっと息をつけた。
突然電話したことを謝ると「実家に向かおうとしてるところで良かった」と副社長は笑った。
「すみません、パニックになっちゃって」
「それはそうだよ。でも電話してきてくれて良かった。昼、気になってたのにそのままにしちゃってたから」
「わたしもまさか待ち伏せされるとは思わなくて。すみません」
「三崎さんが謝ることじゃないでしょ」
肩を支えて、立ち上がらせてもらう。
摩るように腕を撫でられて、自分の身体がまだ震えていることに気づいた。
「彼のこと……聞いていい?」
わたしの震えが治まり、歩き出せるようになったころ、副社長が遠慮がちに訊ねてきた。
もちろん上司を突然呼び出しておいて、何も説明せずに済むわけがない。小さく頷いた。
地下駐車場に停めてあった副社長の車に乗せてもらう。
副社長の自家用車は、当然見たことはあるけれど、実際に乗せてもらうのは初めてだ。助手席に座ってドアを閉めてもらうと、やっと緊張がとけた気がした。もっとも副社長のプライベート空間に入れてもらうのは、別の意味で落ち着かないけれど。
「あの人……浜田誠治とは、真瀬に入社する前につきあっていたんです」
副社長は短く相打ちを入れながら聞いてくれる。余計な言葉がないせいか、落ち着いて今までの経緯を話すことができた。結婚の約束をしていたこと、好きな人がいると言われ婚約が破棄されたこと、社内で噂になるのも、誠治の顔を見るのも辛くて転職したこと。就職が決まって真瀬に通いやすい場所に引っ越したこと。
「それに、実家にも帰りづらくなってしまって。どうしても……親は腫れ物に触るようになったというか。まあ娘がショックを受けてるだろうから当然なんですけど。わたしが誠治と付き合っていたことも、前の会社にいたことも、まるで無かったことのようになっていて。わたし、特に親しい友だちもいないから、誰かの前で思いっきり泣いたりすることもないまま来てしまって。そのせいか、すっきりした、吹っ切ったっていう気もしないままで」
「……なるほど。ちょっと、納得がいったかも」
「え……?」
「三崎さんが面接に来たとき、何か切羽詰まってるなって感じたから。でもその分仕事に打ち込んでくれるかなと思って、採用を決めたんだ」
「そう、だったんですね」
「うん。実はもう少し年齢が上の男性の方がいいんじゃないかって話も出てたんだよ。でも自分の直感を信じた」
「じゃあ、副社長のおかげですね。わたしが今こうして働けているのも」
「それは三崎さん自身の力だと思うけど……」
「今でも婚約破棄になったときの衝撃は残ってますけど、気持ちのうえでは落ち着いてるんです。仕事が楽しいから、新しい道を見つけられたといいますか」
「そっか」
「はい、だから、ぜんぶ副社長のおかげなんです」
副社長は目線を逸らして自分の髪に触れている。
「こちらこそ。三崎さんがいてくれて本当に助かってる。仕事のうえでも、それ以外でも三崎さんに出会えて本当に良かった。俺の気持ちは変わらないから」
さらりと付け加えられた言葉の意味に、気づかなかったわけではない。
けれど応えることはできずにいると、「で、提案なんだけど」と副社長はぐいっとこちらに身を乗り出した。
「三崎さん、しばらくウチに来たら?」
「……はい?」
走ってきてくれたのだろうか、少しだけ前髪を乱した副社長が立っていて、その姿を見つけた瞬間にへなへなと座り込んでしまった。
副社長の暖かい手が肩に触れて、やっと息をつけた。
突然電話したことを謝ると「実家に向かおうとしてるところで良かった」と副社長は笑った。
「すみません、パニックになっちゃって」
「それはそうだよ。でも電話してきてくれて良かった。昼、気になってたのにそのままにしちゃってたから」
「わたしもまさか待ち伏せされるとは思わなくて。すみません」
「三崎さんが謝ることじゃないでしょ」
肩を支えて、立ち上がらせてもらう。
摩るように腕を撫でられて、自分の身体がまだ震えていることに気づいた。
「彼のこと……聞いていい?」
わたしの震えが治まり、歩き出せるようになったころ、副社長が遠慮がちに訊ねてきた。
もちろん上司を突然呼び出しておいて、何も説明せずに済むわけがない。小さく頷いた。
地下駐車場に停めてあった副社長の車に乗せてもらう。
副社長の自家用車は、当然見たことはあるけれど、実際に乗せてもらうのは初めてだ。助手席に座ってドアを閉めてもらうと、やっと緊張がとけた気がした。もっとも副社長のプライベート空間に入れてもらうのは、別の意味で落ち着かないけれど。
「あの人……浜田誠治とは、真瀬に入社する前につきあっていたんです」
副社長は短く相打ちを入れながら聞いてくれる。余計な言葉がないせいか、落ち着いて今までの経緯を話すことができた。結婚の約束をしていたこと、好きな人がいると言われ婚約が破棄されたこと、社内で噂になるのも、誠治の顔を見るのも辛くて転職したこと。就職が決まって真瀬に通いやすい場所に引っ越したこと。
「それに、実家にも帰りづらくなってしまって。どうしても……親は腫れ物に触るようになったというか。まあ娘がショックを受けてるだろうから当然なんですけど。わたしが誠治と付き合っていたことも、前の会社にいたことも、まるで無かったことのようになっていて。わたし、特に親しい友だちもいないから、誰かの前で思いっきり泣いたりすることもないまま来てしまって。そのせいか、すっきりした、吹っ切ったっていう気もしないままで」
「……なるほど。ちょっと、納得がいったかも」
「え……?」
「三崎さんが面接に来たとき、何か切羽詰まってるなって感じたから。でもその分仕事に打ち込んでくれるかなと思って、採用を決めたんだ」
「そう、だったんですね」
「うん。実はもう少し年齢が上の男性の方がいいんじゃないかって話も出てたんだよ。でも自分の直感を信じた」
「じゃあ、副社長のおかげですね。わたしが今こうして働けているのも」
「それは三崎さん自身の力だと思うけど……」
「今でも婚約破棄になったときの衝撃は残ってますけど、気持ちのうえでは落ち着いてるんです。仕事が楽しいから、新しい道を見つけられたといいますか」
「そっか」
「はい、だから、ぜんぶ副社長のおかげなんです」
副社長は目線を逸らして自分の髪に触れている。
「こちらこそ。三崎さんがいてくれて本当に助かってる。仕事のうえでも、それ以外でも三崎さんに出会えて本当に良かった。俺の気持ちは変わらないから」
さらりと付け加えられた言葉の意味に、気づかなかったわけではない。
けれど応えることはできずにいると、「で、提案なんだけど」と副社長はぐいっとこちらに身を乗り出した。
「三崎さん、しばらくウチに来たら?」
「……はい?」