凍った花がとけるとき

 翌朝、着替えて部屋を出ると、キッチンからがさごそと音が聞こえてきた。
「おはようございます」と声を掛ければ、紙袋を覗き込んでいた副社長がはっと顔を上げた。
 私服姿は時々見るけれど、それでも一応外出先ではあるから、まさにオフっていう感じの副社長は新鮮だった。髪型をセットしていないからか、さらさらの前髪が降りていて、余計に幼く見える。

「おはよう。下でパン買ってきたから食べよう」
「すみません、」
「三崎さん、ストップ」

 副社長がしっと自分の唇に人差し指を当てる。

「すみませんっていうの、もう無しね。自分も食べるから買ってきただけだし。それに、せっかくならありがとうって言ってくれたほうが嬉しい」

 そう言って微笑む副社長は、いつもよりさらにとろけそうに優しい。

「ありがとうございます」
「はい、よく出来ました」

 いつもと違う褒め方にどぎまぎしながら、二人でお皿にパンを並べた。マンションの一階に入っているパン屋で、サラダも買ってくれたらしい。

「家に本当に食べ物がないんだよね。今日は買い物にもいかないと」
「普段朝ご飯どうされてるんですか?」
「うーん、迎えに来てもらう途中で買ってきてくれるのを食べたり、自分で買って出勤中に食べたり、かなあ」
「車のなかで食べてるんですか?」
「そうだね、いつもこぼさないでって怒られてる」
「渡辺さんに?」
「そう、三崎さんの前では細かいこと言わないけど、渡辺さん結構怒るから」
「意外です」

 そんなところばっかりだよ、と笑う副社長と一緒にダイニングテーブルに移動して、朝ごはんを食べた。
 昨日の今日で、こんなに笑える自分に驚きながら。

 その後、副社長が車を出してくれて、わたしのアパートへ向かった。近くのパーキングに車を停めてアパートまで歩く途中、ここまで追いかけてきたわけではないから大丈夫だと思いながらも、誠治の姿を思い出して、手先が冷たくなった。
 話しかけられたくらいでこんなに動揺するなんて情けない。ただ自分に対してあんな不誠実に振る舞ったくせに、自分が歓迎されていると信じ込んでいる誠治は、常軌を逸しているように思えた。二年前に傷つけられた記憶のせいではなく、今のあの男が恐怖の対象なのだと思う。
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