凍った花がとけるとき
 しばらくして、濡れた髪をがしがしとタオルで拭きながら副社長が出てきた。
 濡れた前髪から瞳がのぞいて、思わず視線を逸らしてしまう。
 先ほどまでのとろんとした雰囲気がなくなっているから、少しは酔いが冷めたのかもしれない。

「ごめん、酔っ払って」
「それは全然いいんですけど。珍しいですね」
「そう、嬉しくなっちゃって」

 そう言うと副社長はソファに座りながら、

「この前親に言われてお見合いしたじゃない? その時の相手の人――彩乃さんっていうんだけど。ずっと好きな人がいるから、その人と結婚したいんだって言っててさ。そしたら今日、無事に結婚が決まったってわかって」

 ……ん?
 今日の会食相手は男性だったはずだけど、彩乃さん、も同席したのだろうか。まさか。
 でもじゃあなんで結婚が決まったと知ったのだろう。直接連絡が来たとか。というかお見合い後も連絡を取るくらい意気投合したんだろうか。
 副社長は嬉しそうなのになんとなく心のなかにもやもやが残ってしまって、そんな自分が嫌になった。

「三崎さん……?」

 相槌も打たないわたしを不審に思ったのか、副社長が首をかしげている。

「あ、よかったですね」
「うん。なかなか先行きは厳しいって言ってたから、本当によかったよ。ライバル会社の人だって聞いてたから、まるでロミオとジュリエットだなって思ってたんだけど」
「その方もいらしてたんですか?」
「彩乃さん? ううん、そうじゃなくて、今日の会食先のひとが、彩乃さんの好きなひとだったの。結婚が決まりましたって報告されて、相手が神田のお嬢様だっていうから、まさかと思って聞いたら……ほんと偶然」
「へえ」
「しかも会食相手の御曹司も、海外で働いてたときに俺と同じオフィスに通ってたことがわかって。すごい偶然で盛り上がっちゃった」
「あ、じゃあその彩乃さんとお会いしたわけではないんですね」
「うん。どうしてるかなとは思ってたけど、まさかこんな形で上手くいったことを知るとは思わなかったから驚いたよ。だからって飲み過ぎていいわけじゃないんだけど」
「たまには楽しいお酒もいいんじゃないですか。いつもお仕事ばかりですし」

 そう言いながら、もう一本取り出した水のボトルを手渡す。

「じゃあ……三崎さん一緒に飲みにいってくれる?」

 ボトルを手にした副社長が、くいっと予想外の強さで引っ張ったので、ぐらりと重心が傾いた。
 ソファの背に手をついて、倒れ込むことは避けたけれど、不自然に、近い距離に副社長の顔が迫る。
 まつ毛が長い。こうやって見ると、改めて整った顔つきだなあと思う。

「すみませ……」

 体を起こそうとした瞬間、副社長の手がわたしの頬を撫でた。
 あ、と思ったときには、唇が近づいてきて、ほのかにお酒の香りが漂う。
 避けようと思えば、避けられた。けれど、わたしはその場から動かなかった。
 そっと目を閉じる。
 けれどどれだけ経っても待っていた感触は訪れなくて、

「ごめん、調子に乗り過ぎた」と副社長は頭を振って、立ち上がった。

 しゅんとした様子で改めて頭を下げられて、慌てる。

「こちらこそ……すみません。……失礼します」

 辛うじてそう言ったわたしは、一目散に部屋へと戻った。
 扉を背に、へなへなと座り込む。

 頬が熱い。びっくりした。キスされそうになったことについてじゃなかった。

 当たり前のように、受け入れようとした自分に驚いていた。
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