凍った花がとけるとき
 同席した商談も順調に終わり、訪ねたビルを出ると、海斗さんは「ちょっと寄り道していこう」という。冬の日は既に落ちて、辺りは暗くなっていた。
 ーーあ、なんか懐かしいかも。
 そう思いながら、行きとは違う道を進み始めた海斗さんの後を追う。
 五分ほど歩くと、先日オープンしたショッピングモールに着いた。真瀬がデザインし、運営・管理に携わっている施設だ。さすがに歩いていたら、副社長が来ているってバレてしまうんじゃないかと危ぶんだけれど、店内は平日だというのに賑わっていて、店員さんもみんな忙しそうだった。クリスマスが近いからかもしれない。みんなどこか浮き足だっている。
 設計段階から散々関わった場所だからか、海斗さんは迷うことなくエレベーターにたどり着く。後を追ったわたしも迷わず、最上階のボタンを押した。

 エレベーターは他に誰も乗っていなかった。
 するりと海斗さんの手が近寄ってきて、ぎゅっと繋がれる。
 わたしも強く握り返した。
 途中で誰も乗ってくることなく、エレベーターは最上階――屋上にたどり着いた。

 一歩足を踏み出すと、そこには幻想的な景色が広がっていた。
 屋上の真ん中には季節ごとに顔を変えるシンボルツリー。今は、光り輝くクリスマスのオーナメントで彩られている。そしてそのツリーを中心に、放射線状にイルミネーションが配置され、屋上全体を彩っていた。シンプルな淡い白い光だけれど、それが暗闇に映えて美しい。
 そして何より、エレベーターの静寂が嘘のように、大人も子どもも、思い思いにその場所を楽しんでいた。ツリーの前で写真を撮ったり、夜景を眺めたり。笑顔が溢れる人々の光景に、胸が熱くなった。

「すごい、盛況ですね」
「うん。悔しいけどここ、帆足の担当なんだよね」
「そうなんですか、さすが!」

 そう声を上げれば、ぎゅっと手を握る力が強くなる。見上げた海斗さんは、少し頬を膨らませているようだ。

「だからやだ」
「え? やだとは……」
「複雑ってことだよ」

 海斗さんはぐいと手を引っ張って、そのまま人気の少ないフェンス近くまで歩いていく。

「あ、あのビルって……」

 ちょうど正面に見える、背の高いビルを指差せば、海斗さんはこくりと頷いた。

「そう、去年はあっちにいたよね」
「ふふ。初めて海斗さんと手繋いだところですね」
「正確に言えば、俺が勝手に繋いだところだけどね」

 そう言って、少しだけバツの悪そうな顔をしていた海斗さんは、見ていたビルから視線を外して、わたしの真正面に向き直った。つられてわたしも、真っ直ぐに海斗さんと向き合う。
 繋がれていた手が離れていったかと思うと、コートのポケットから何かを取り出している。それは深いネイビーのビロードに包まれた小箱でーー。
 海斗さんはそれを開けると、こほんと一つ咳払いをした。

「紗央里、俺と結婚してください」

 どきりと胸が鳴った。驚きで、指先がいっそう冷たくなる。
 けれどその後にじんわりと滲んできたのは、喜びだった。

「紗央里が、まだ色々不安なのはわかってるつもりなんだけど、ごめん。やっぱり俺がもう我慢できなくて……」

 必死に言い募る海斗さんが愛しくて、だんだん視界が滲んでくる。
 それに気づいてまた慌てて「やっぱり無理しなくていいよ」と言ってくれる海斗さんが優しくて。

「……はい、よろしくお願いします」

 こみ上げる涙と嬉しさに口を抑えながらそう言うと、海斗さんが「え?」と戸惑った声をあげてから、ふーっと長く息を吐いた。

「……よかった」

 海斗さんが思わず溢した言葉は、心からの実感がこもっているように聞こえて、ああ幸せだな、と思った。



 それからすぐに、わたしは真瀬紗央里になった。

 海斗さんが、婚約の状態で長い期間を過ごすのを良しとしなかったからだ。それは、わたしへの優しさだと思う。
 真瀬のご両親に報告しーーこれはこれで、「やっと! 長かった!」「海斗がのんびりしてるから紗央里さんに愛想尽かされたのかと思った」と散々な言われようで、海斗さんが機嫌を損ねて大変だったのだけれどーー、すぐさまわたしの実家にも挨拶に来てくれた。
 こちらはこちらで、しばらく帰ってこなかった娘が結婚相手を連れてきたと思ったら、大会社の御曹司だったから、両親はひっくり返って驚いていたけれど。
 とにかく早く籍を入れたい、というわたしたちの希望は尊重され、年内には婚姻届を提出したのだった。

 取引先には年が明けてから報告することになっているし、結婚式はまだまだ先の予定だ。真瀬の跡取りの結婚式がどれほどの規模になるのか、わたしには想像もつかない。
 不安がないといえば嘘になるけれど、きっと大丈夫。

 そう思えるのは、海斗さんがわたしを大事にしてくれるという自信があるからだ。毎日、いつでも、海斗さんはその自信をわたしに与えてくれる。
 それだけの愛をくれる彼に、わたしも同じだけ返していきたいと強く思う。生涯をかけてーー。


(完)

< 56 / 62 >

この作品をシェア

pagetop