秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
5.変化するミザンス
家に帰ってのんびりしていると、日付が変わる頃に父が帰ってきた。
「おかえり。遅かったね」
「ああ。海外のクリエティブスタッフが来日してな」
「へえ」
「本当は明日からのはずだったんだが……疲れた」
海外のスタッフというのは、恐らく作家や作曲家たちのことだ。今回の作品はもちろん日本語で、日本人による上演だけど、もともとは海外で英語版として作られたものだ。その大元を作ったひとたちが、確認のために来日したらしい。
日本で、自分たちの認めるレベルで上演されるのかチェックしにくる、ということなんだろう。なんとも恐ろしい世界だ。
「喜んでたからよかったけど」
「うん」
「特に悠真に夢中だったよ。今までの日本人にはないタイプだと言ってた」
「へえ。あ、ご飯食べる?」
「いや、明日から劇場入りだから早く寝るよ」
父はそう言い残すと部屋に入っていった。
本当に、大変な仕事だと思う。
私なんて八時間働いただけで疲れ果てるのに。
せめて朝ご飯くらいは作っておいてあげようと、キッチンに向かった。
急遽代役を務めた撮影から数日後、私は再びウェルメイドで開店準備をしていた。
バイトの陸くんに、突如オーディションが入ったからだ。
彼はまだ駆け出しだけど、長身で見た目は整っているし、何よりいい子なので仕事が決まると良いなと思う。それだけ素質があるから、叔父も融通してあげているんだろうし。
「そろそろもう一人雇うかなあ。多分、そろそろ陸はいく気がするんだよな」
叔父の目はなかなか確かだ。
ウェルメイドでアルバイトとして働いてきた子たちは、主役級の役ではないものの、商業演劇の常連になった俳優も多い。その叔父が言うのだから、きっと近々、何かのオーディションに合格するに違いない。
それに叔父は常々、売れる役者は人格が伴っているものだ、と言っていた。
その点、陸くんはパーフェクトだと思う。
そんな話をしていると、ふと柊木さんの顔が過った。
彼は文句なく売れっ子だけど性格は……多少難があるんじゃないだろうか。ひとが嫌がっている話をするし結構強引だし。
でも同時に感じる居心地の良さも事実だから、いったいどういうことなんだろう、と内心首を傾げる。
「そういえば、始まったぞ」
「え?」
「悠真の公演」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
だが父が劇場入り、と言ってから数日経っている。もう本番に入っているのだ。
同じ作品で主演の柊木さんが本番中だというのは、考えてみれば当たり前だった。
「観に行かないのか?」
「まあ……誘われてもないし」
そう呟くと、叔父の素っ頓狂な声が響いた。
「はあ? なんだそれ」
「いやなんだって言われても。観に来てなんて言われてないし」
「連絡は?」
「そもそも連絡先知らないし」
「……何やってんだか」
呆れたように呟く叔父に首を竦めてみせる。
なんだか勘繰られているようだが、柊木さんとは本当にあくまで偶然居合わせることが多いだけで、実際に約束して会ったことなんて一度もない。
多分、嫌われてはいないと思う。
だけど好かれているわけでもないだろう。
天津遥の娘に興味がある、そんなところだ。
そう考えて、何故だか、ずきりと胸が痛んだ。
でも母の娘だと思われることは慣れたことだ、と言い聞かせて、その棘の正体を深く考えることなくやり過ごす。
と、カランとベルが鳴って、扉が開いた。
「……あ」
接客には決して相応しくないけれど、思わず声が洩れてしまった。
現れたのは柊木さんのマネージャー……確か、佐々木さん。
いつもスリーピースのスーツを着て、細いフレームの眼鏡をかけた、いかにもやり手のマネージャー。
でもお店に現れた佐々木さんは、これまでと雰囲気が違った。慌てて降りてきたのか息が切れていたし、いつも整えられている髪の毛も少し乱れている。
「すみません、藤間さん。少し東雲さんをお借りしても」
息を切らせながら、それでも単刀直入に切り出した佐々木さんに、叔父と顔を見合わせた。
しかし非常事態だと判断した叔父は直ちに頷き、私は着たばかりの制服を私服に着替えて、佐々木さんに急かされながら店を飛び出し階段を駆け上った。
路駐してあった車に飛び乗ると、佐々木さんが口を開く。
「突然すみません。実は、柊木が怪我をして」
「え?」
「立ち回りのシーンがあって。ただ公演を潰すわけにはいかないと応急処置で舞台に立ってまして」
「そんな」
絶句すると、佐々木さんはちらりと私を見て眉間の皺を緩めた。
「多分、あなたの言うことなら聞くと思うので」
十九時から公演は始まっており、そろそろ幕間の休憩時間に入るという。もちろん柊木さんは途中で中断する気はないだろう。それでも、本当に無理だと判断したら、やめさせなければならない。
「私が行ってもお役には……」
そんな切迫した事態に立ち会ったこともない。話を聞いただけでも大変だということはわかるけれど、何ができるわけでもない。
そう訴えるけれど、佐々木さんは首を横に振った。
「どんな決断をするにしても、あなたがいてくれるだけで力になるはずです。柊木をみていれば、わかります」
そう言われてしまっては、何も反論できない。
「おかえり。遅かったね」
「ああ。海外のクリエティブスタッフが来日してな」
「へえ」
「本当は明日からのはずだったんだが……疲れた」
海外のスタッフというのは、恐らく作家や作曲家たちのことだ。今回の作品はもちろん日本語で、日本人による上演だけど、もともとは海外で英語版として作られたものだ。その大元を作ったひとたちが、確認のために来日したらしい。
日本で、自分たちの認めるレベルで上演されるのかチェックしにくる、ということなんだろう。なんとも恐ろしい世界だ。
「喜んでたからよかったけど」
「うん」
「特に悠真に夢中だったよ。今までの日本人にはないタイプだと言ってた」
「へえ。あ、ご飯食べる?」
「いや、明日から劇場入りだから早く寝るよ」
父はそう言い残すと部屋に入っていった。
本当に、大変な仕事だと思う。
私なんて八時間働いただけで疲れ果てるのに。
せめて朝ご飯くらいは作っておいてあげようと、キッチンに向かった。
急遽代役を務めた撮影から数日後、私は再びウェルメイドで開店準備をしていた。
バイトの陸くんに、突如オーディションが入ったからだ。
彼はまだ駆け出しだけど、長身で見た目は整っているし、何よりいい子なので仕事が決まると良いなと思う。それだけ素質があるから、叔父も融通してあげているんだろうし。
「そろそろもう一人雇うかなあ。多分、そろそろ陸はいく気がするんだよな」
叔父の目はなかなか確かだ。
ウェルメイドでアルバイトとして働いてきた子たちは、主役級の役ではないものの、商業演劇の常連になった俳優も多い。その叔父が言うのだから、きっと近々、何かのオーディションに合格するに違いない。
それに叔父は常々、売れる役者は人格が伴っているものだ、と言っていた。
その点、陸くんはパーフェクトだと思う。
そんな話をしていると、ふと柊木さんの顔が過った。
彼は文句なく売れっ子だけど性格は……多少難があるんじゃないだろうか。ひとが嫌がっている話をするし結構強引だし。
でも同時に感じる居心地の良さも事実だから、いったいどういうことなんだろう、と内心首を傾げる。
「そういえば、始まったぞ」
「え?」
「悠真の公演」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
だが父が劇場入り、と言ってから数日経っている。もう本番に入っているのだ。
同じ作品で主演の柊木さんが本番中だというのは、考えてみれば当たり前だった。
「観に行かないのか?」
「まあ……誘われてもないし」
そう呟くと、叔父の素っ頓狂な声が響いた。
「はあ? なんだそれ」
「いやなんだって言われても。観に来てなんて言われてないし」
「連絡は?」
「そもそも連絡先知らないし」
「……何やってんだか」
呆れたように呟く叔父に首を竦めてみせる。
なんだか勘繰られているようだが、柊木さんとは本当にあくまで偶然居合わせることが多いだけで、実際に約束して会ったことなんて一度もない。
多分、嫌われてはいないと思う。
だけど好かれているわけでもないだろう。
天津遥の娘に興味がある、そんなところだ。
そう考えて、何故だか、ずきりと胸が痛んだ。
でも母の娘だと思われることは慣れたことだ、と言い聞かせて、その棘の正体を深く考えることなくやり過ごす。
と、カランとベルが鳴って、扉が開いた。
「……あ」
接客には決して相応しくないけれど、思わず声が洩れてしまった。
現れたのは柊木さんのマネージャー……確か、佐々木さん。
いつもスリーピースのスーツを着て、細いフレームの眼鏡をかけた、いかにもやり手のマネージャー。
でもお店に現れた佐々木さんは、これまでと雰囲気が違った。慌てて降りてきたのか息が切れていたし、いつも整えられている髪の毛も少し乱れている。
「すみません、藤間さん。少し東雲さんをお借りしても」
息を切らせながら、それでも単刀直入に切り出した佐々木さんに、叔父と顔を見合わせた。
しかし非常事態だと判断した叔父は直ちに頷き、私は着たばかりの制服を私服に着替えて、佐々木さんに急かされながら店を飛び出し階段を駆け上った。
路駐してあった車に飛び乗ると、佐々木さんが口を開く。
「突然すみません。実は、柊木が怪我をして」
「え?」
「立ち回りのシーンがあって。ただ公演を潰すわけにはいかないと応急処置で舞台に立ってまして」
「そんな」
絶句すると、佐々木さんはちらりと私を見て眉間の皺を緩めた。
「多分、あなたの言うことなら聞くと思うので」
十九時から公演は始まっており、そろそろ幕間の休憩時間に入るという。もちろん柊木さんは途中で中断する気はないだろう。それでも、本当に無理だと判断したら、やめさせなければならない。
「私が行ってもお役には……」
そんな切迫した事態に立ち会ったこともない。話を聞いただけでも大変だということはわかるけれど、何ができるわけでもない。
そう訴えるけれど、佐々木さんは首を横に振った。
「どんな決断をするにしても、あなたがいてくれるだけで力になるはずです。柊木をみていれば、わかります」
そう言われてしまっては、何も反論できない。