秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
夕飯のあと、手早くキッチンを片付ける。それから明日の朝、簡単に食べられるメニューも用意して(今回はサンドイッチにした)、ラップを掛けた。
明日は土曜日だから、柊木さんは昼夜2公演だ。あいだのお弁当は佐々木さんが用意してくれるからお任せして……と考えてみれば、明日は仕事も休みだから、そんなに急ぐこともなかった、と気がついた。
いつも柊木さんは食後にその日の本番の録音をチェックしたり、次の公演の台本を読んだり(本番中に次の舞台の準備なんて頭がこんがらがりそう!)、とリビングで過ごしているけれど、今日は先ほど電話が掛かってきて別室に行ってしまった。
ファンクラブイベントについての打ち合わせらしい。
佐々木さんじゃない、電話口の担当者は女性だったなあと、聞こえてきた声をぼんやり思い出す。私に気を遣ってくれたのだろうけれど、自室で電話をするなんて何か意味があるんだろうか、と嫌な予感が過って考え込んでしまった。
片付けも翌日の準備もひと段落して荷物をまとめると、ダイニングの椅子に腰掛けて小さく息を吐く。
声もかけずに帰るのは失礼だから電話が終わるまで待っているつもりだけど、さっき柊木さんと交わした会話が頭からこびりついて離れない。
そりゃあ長く一緒にいられたら嬉しいに決まっているけれど、アルバイトの域を越えている。
それに何より、離れるときに辛くなるのは自分のほうだ。
――ていうか、役者なんて絶対好きになるつもりなかったのに。
ちょっとイレギュラーな場面に立ち会ってしまったから。
トラブルに立ち向かう姿があまりに輝いていたから。
きっとすぐに忘れるはず。
そう自分に言い聞かせた――ところまでは、覚えていた。
「柚さん」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。と、同時に優しく肩を揺さぶられているのを感じた。
まるでお風呂に浸かっているように心地良くて、そのまま微睡んでいたくなる。
温かい感触を額に受けて、ゆっくりと意識が覚醒していく。
寝ていた、と気づいた瞬間、視界に飛び込んできた柊木さんの姿に跳ね起きた。
「すみません!」
「大丈夫だけど……」
と言った柊木さんはふふっと小さく笑った。
理由を聞く前に、手が伸びてきて、ふわっと頬に触れられた。
「跡ついてる」
「え!?」
慌ててごしごしと擦ってみるけれど、どれだけくっきりついているのかもわからない状態じゃ、どうしようもない。
「ごめんね。怪我してなければソファに運べたんだけど」
「いや! いやいやいや、起こしてください!」
「うん、起こしたよ?」
「あ……はい」
なんだか会話がちぐはぐだ。
けれどぐっすり寝入っていたことだけはわかるくらい、頭が妙に冴えていた。
こっそりため息を吐くと、柊木さんが目の前の椅子に座った。
「今月末まで今の公演が続くんだけど。あ、東京公演ね」
「……はい」
「で、一週間空いて、今度は10日間の大阪公演」
「はい」
「東京と大阪の間にファンクラブイベントがあって、さっきの電話は、イベントでなんの歌を歌うかの相談。部屋のCD見ながら話してた」
「……はあ」
「で、大阪から戻ってきたら次の公演の稽古。それはね、ストレートプレイで男ばっか少人数の芝居」
「へえ」
柊木さんはそう言いながら、テーブルの端によけてあった台本を見せてくれる。
また一番最初に名前が書いてあった。
「これ、舞監が征さんじゃないんだよなー」
もちろん業界に何人も舞台監督はいるんだから、父が担当じゃないこともあるだろう。というか二回連続というのが珍しい気がする。
「征さんに、柚さんの話聞くのが日課だったんだけど」
「はい?」
「次はいつウェルメイド出勤か……とか、昨日のご飯なんだったとか」
「なんですか、それ」
「だから、柚さん情報。毎日聞いてたら、そのうち征さんの方から教えてくれるようになって」
「いやいやいや」
「昨日作ってくれたハンバーグが美味しかった、とか自慢してくるんだよ。征さん」
意外と大人げないよね、と柊木さんはくつくつと笑う。
けれど父も父で何をしているんだ、と思う。
稽古場で家族の話なんて、しないと思っていた。母がいるときですら、避けていたと聞いていたのに。
柊木さんは、だめだった? と可愛らしく首を傾げられるけれど。
「だめです」
「なんで」
「恥ずかしいじゃないですか」
そうかなーと柊木さんは頬杖をつく。
その仕草に、この人いくつだったっけ……? と思わず考え込んでしまった。
「好きな人のことは、なんでも知りたいって思うものじゃない?」
そっと、大きな手のひらが伸びてきて、私の頬に触れる。
その感触に囚われていて、聞き間違いかと思った。
ぽかんと柊木さんの顔を見つめれば、またいつもの笑み。
何を言っているのだろう、と思っていると、ふっと目の前に柊木さんの顔が迫ってきていて。
つい今さっきまで笑みを浮かべていたはずなのに、まるで舞台のうえに立っているときのような真剣な瞳。目が、逸らせなかった。
音もなく唇が触れ合って。
目を閉じることもできず、ただキスを受け止めていた。
永遠にも感じられるような長さのあと、柊木さんの唇が離れていく。
かわりに伸びてきた指に、今度は唇をゆっくりとなぞられた。
「んで……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
ガタンと音をさせながら立ち上がる。
柊木さんの手は、取った距離に見合ったように離れていった。
「か、帰ります」
「え?」
「失礼します」
まとめてあった荷物を持って玄関に向かう。
追ってきそうな柊木さんに振り返って、
「鍵は閉めるので大丈夫です。早く寝てください」
明日は2公演だし、と付け加えれば柊木さんの動きが一瞬止まる。
その間に、慌てて玄関を抜けると、外からがしゃんと鍵をかけた。
頭が、ひどく混乱していた。
明日は土曜日だから、柊木さんは昼夜2公演だ。あいだのお弁当は佐々木さんが用意してくれるからお任せして……と考えてみれば、明日は仕事も休みだから、そんなに急ぐこともなかった、と気がついた。
いつも柊木さんは食後にその日の本番の録音をチェックしたり、次の公演の台本を読んだり(本番中に次の舞台の準備なんて頭がこんがらがりそう!)、とリビングで過ごしているけれど、今日は先ほど電話が掛かってきて別室に行ってしまった。
ファンクラブイベントについての打ち合わせらしい。
佐々木さんじゃない、電話口の担当者は女性だったなあと、聞こえてきた声をぼんやり思い出す。私に気を遣ってくれたのだろうけれど、自室で電話をするなんて何か意味があるんだろうか、と嫌な予感が過って考え込んでしまった。
片付けも翌日の準備もひと段落して荷物をまとめると、ダイニングの椅子に腰掛けて小さく息を吐く。
声もかけずに帰るのは失礼だから電話が終わるまで待っているつもりだけど、さっき柊木さんと交わした会話が頭からこびりついて離れない。
そりゃあ長く一緒にいられたら嬉しいに決まっているけれど、アルバイトの域を越えている。
それに何より、離れるときに辛くなるのは自分のほうだ。
――ていうか、役者なんて絶対好きになるつもりなかったのに。
ちょっとイレギュラーな場面に立ち会ってしまったから。
トラブルに立ち向かう姿があまりに輝いていたから。
きっとすぐに忘れるはず。
そう自分に言い聞かせた――ところまでは、覚えていた。
「柚さん」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。と、同時に優しく肩を揺さぶられているのを感じた。
まるでお風呂に浸かっているように心地良くて、そのまま微睡んでいたくなる。
温かい感触を額に受けて、ゆっくりと意識が覚醒していく。
寝ていた、と気づいた瞬間、視界に飛び込んできた柊木さんの姿に跳ね起きた。
「すみません!」
「大丈夫だけど……」
と言った柊木さんはふふっと小さく笑った。
理由を聞く前に、手が伸びてきて、ふわっと頬に触れられた。
「跡ついてる」
「え!?」
慌ててごしごしと擦ってみるけれど、どれだけくっきりついているのかもわからない状態じゃ、どうしようもない。
「ごめんね。怪我してなければソファに運べたんだけど」
「いや! いやいやいや、起こしてください!」
「うん、起こしたよ?」
「あ……はい」
なんだか会話がちぐはぐだ。
けれどぐっすり寝入っていたことだけはわかるくらい、頭が妙に冴えていた。
こっそりため息を吐くと、柊木さんが目の前の椅子に座った。
「今月末まで今の公演が続くんだけど。あ、東京公演ね」
「……はい」
「で、一週間空いて、今度は10日間の大阪公演」
「はい」
「東京と大阪の間にファンクラブイベントがあって、さっきの電話は、イベントでなんの歌を歌うかの相談。部屋のCD見ながら話してた」
「……はあ」
「で、大阪から戻ってきたら次の公演の稽古。それはね、ストレートプレイで男ばっか少人数の芝居」
「へえ」
柊木さんはそう言いながら、テーブルの端によけてあった台本を見せてくれる。
また一番最初に名前が書いてあった。
「これ、舞監が征さんじゃないんだよなー」
もちろん業界に何人も舞台監督はいるんだから、父が担当じゃないこともあるだろう。というか二回連続というのが珍しい気がする。
「征さんに、柚さんの話聞くのが日課だったんだけど」
「はい?」
「次はいつウェルメイド出勤か……とか、昨日のご飯なんだったとか」
「なんですか、それ」
「だから、柚さん情報。毎日聞いてたら、そのうち征さんの方から教えてくれるようになって」
「いやいやいや」
「昨日作ってくれたハンバーグが美味しかった、とか自慢してくるんだよ。征さん」
意外と大人げないよね、と柊木さんはくつくつと笑う。
けれど父も父で何をしているんだ、と思う。
稽古場で家族の話なんて、しないと思っていた。母がいるときですら、避けていたと聞いていたのに。
柊木さんは、だめだった? と可愛らしく首を傾げられるけれど。
「だめです」
「なんで」
「恥ずかしいじゃないですか」
そうかなーと柊木さんは頬杖をつく。
その仕草に、この人いくつだったっけ……? と思わず考え込んでしまった。
「好きな人のことは、なんでも知りたいって思うものじゃない?」
そっと、大きな手のひらが伸びてきて、私の頬に触れる。
その感触に囚われていて、聞き間違いかと思った。
ぽかんと柊木さんの顔を見つめれば、またいつもの笑み。
何を言っているのだろう、と思っていると、ふっと目の前に柊木さんの顔が迫ってきていて。
つい今さっきまで笑みを浮かべていたはずなのに、まるで舞台のうえに立っているときのような真剣な瞳。目が、逸らせなかった。
音もなく唇が触れ合って。
目を閉じることもできず、ただキスを受け止めていた。
永遠にも感じられるような長さのあと、柊木さんの唇が離れていく。
かわりに伸びてきた指に、今度は唇をゆっくりとなぞられた。
「んで……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
ガタンと音をさせながら立ち上がる。
柊木さんの手は、取った距離に見合ったように離れていった。
「か、帰ります」
「え?」
「失礼します」
まとめてあった荷物を持って玄関に向かう。
追ってきそうな柊木さんに振り返って、
「鍵は閉めるので大丈夫です。早く寝てください」
明日は2公演だし、と付け加えれば柊木さんの動きが一瞬止まる。
その間に、慌てて玄関を抜けると、外からがしゃんと鍵をかけた。
頭が、ひどく混乱していた。