秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜

7.バックヤードの葛藤

 ばたんと扉が閉じられた後、鍵のまわる音が響いた。
 セキュリティ万全のマンションの扉は分厚いはずなのに、ばたばたと廊下を駆けていく足音がいつまでも耳に残っている気がした。

 はじめは、ただの興味だった。

 尊敬する舞台監督である東雲(しののめ)(まさし)さん。初舞台のときから現在進行系で、それはもうお世話になっている。
 舞台上を歩くだけで、何度もやり直しをさせられていた本当に駆け出しの頃。演出家に叱咤罵倒される姿もすべて曝け出してきたし、落ち込んでいた自分を少ない言葉で何度も救ってくれた、尊敬するひと。

 そして。
 発する台詞はもちろん、瞬きする瞬間までコントロールされた圧倒的な立ち振る舞いに惹きつけられ、性別が違うだけでそれ以外はすべてが目指すべき姿、と思わされた。舞台という場所を主戦場に選ぼうと決めたきっかけとなった大女優、天津(あまつ)(はるか)
 二人がかつて夫婦だった、という噂は、自分も耳にしたことがあった。
 でもその二人に子どもがいる、なんて考えてみたこともなかった。
 そんな自分の目の前に現れた、尊敬する二人の娘。
 さらに叔父は、いくつも演劇賞を受賞している著名な舞台美術家。

 こんな親族に囲まれながら、「私、舞台興味ないんで」と言い放つ彼女はいったい何を考えているのか、その頭の中を覗いてみたいと思った。
 これだけ業界関係者に囲まれた人だ。ちょっと古株のスタッフさんにちらりと話を振ってみれば、その生い立ちはすぐに知れた。といっても尊敬するお二人の関係にも触れなければならなくなるから、深く聞くのは躊躇われたけれど。

『ああ、柚ちゃんだろ。昔はしょっちゅう劇場にも来てたよな』
『可愛かったよなあ。お母さん追いかけて舞台に登ろうとしたり』
『お父さんの作業見ながら、頑張ってーって叫んだりな』

 小学生くらいの頃の話だろうか。聞いているだけで口元が緩む。
 羨ましい、その時期に出逢いたかった、と思ってしまった。
 自分はまだこの世界にも入っていなかったのだから、あり得ないとわかっているのに。

 でも、両親が離婚した後、彼女は劇場に姿を現さなくなったという。

 芝居自体を嫌いになったのだろうか、と思ったけれど。
 俺の舞台写真を見たときの反応では決して舞台が嫌いになったわけではなさそうだったし、ちょっとしつこいかな、と思ったけれど、彼女の母親の話に食いつかせてもらった。
 何より、天津遙は尊敬する大女優だ。
 彼女の素晴らしさを、娘である柚さんが知らないのであれば、それは勿体無いと思ったから。
 ただ、彼女の拒絶反応は予想以上で。
 この世界は、もう自分には関わり合いのないもの、と決めつけているような、そんな印象だけが残った。

「悠真、最近ぼーっとしてる時間が多くないか?」

 稽古帰りの車内で、マネージャーの佐々木にそう尋ねられた。
 確かに柚さんのことを考えることが増えたな、と自覚はしていた。この前稽古場に呼び出した(実際に連れ出してくれたのは恒さんだけど)ときから、もうしばらく会っていない。

「……そう?」
「ああ。オフが必要なんだったら調整してみるが」

 ここ数年、仕事が波に乗り始めたころから、自分から休みを求めることはなくなった。
 舞台には、稽古中は稽古休み、公演中も休演日が、大体週に一日は設定されている。
 ただ結局単発の仕事や次の作品のスチール撮影や取材で潰れてしまうので、結局まともな休みはひとつの公演終わらないと入れられないのが常だった。

「いや、別に休みはいらないけど……。あれ、あの電化製品の撮影っていつだっけ?」
「だから来週だって」
「あーそっか、来週か。じゃあ休みは大丈夫」

 柚さんの会社の製品の撮影日。
 それが無事に終わったら、ウェルメイドに顔を出してみようと思っていた。

 こんなことがあったよ、とか、撮影に来ていたこの人知り合い? とか、そんな些細な世間話でいいから、話すきっかけを作ってこよう、なんて少しだけ邪な楽しみを潜ませて現場に向かう。
 事務所伝いに、彼女にも関わってほしいとお願いしたけれど断られていたから、まさか撮影場所に柚さんがいるだなんて思っていなかった。
 ただ話のネタになればいいな、と思って、いつもの現場より注意深くスタジオの様子やスタッフさんの顔を窺っていれば、その中に、まさに会いたかった人の姿があった。
 それだけで大分気は動転していたけれど。
 先方のミスをついてこちらから共演者を指名するだなんて、そんなこと、いまだかつて実行したこともましてや考えたこともない。
 隣で佐々木は話を合わせてくれたけれど、こちらをじっと見てくる視線を感じて、あーこれは自分の魂胆に気づかれたな、と思う。
 まあ放っておこう。もう事務所から恋愛を制限されるような歳でもない。そう開き直って撮影に臨んだ。

 撮影は、とても楽しかった。
 正確に言えば、柚さんと夫婦役を演じた後半の撮影が、だけれど。
 他愛ない話に笑ってくれて、肩が触れ合ったり指先を掠めたとしても、本人から文句も言われない。背後から抱きしめるなんて、役得以外の何者でもない。
 こんな撮影ならずっと続いてもいいなと思った。
 スマホでオフショットを撮っていた佐々木が、後で画像を見せながら俺の顔がにやけすぎていて気持ち悪いと言ってきたくらいだ。
 こんなにへらへらしていたらファンクラブの会報にも載せられない、と言うので覗いてみれば、確かにもうしばらく見ていないような満開の笑顔の自分がいた。

「お前、結婚願望ないって言ってなかったか?」
「……別に無いとは言ってない」
「ふーん」

 意味ありげな視線に気づかないふりをして、腕のなかでくるくると変わる柚さんの表情を思い返しながら、いったい彼女は他のひとと何が違うんだろうと考える。
 共演者にも女優はたくさんいるし、女性の知り合いだって決して少ない方ではないはず。

 ――安心、かな。

 彼女と話していると、地に足がつく感じがする。毎日お芝居でいろいろな人間になる自分の、根本を見つけたような。

 まるで憑物が落ちたかのように合点がいった。
 多分もしかしたら、天津遙も同じものを求めて結婚し、出産したのかもしれない。なぜ手放してしまったのか。その理由はわからないけれど。
 自分は絶対に離さない、と手に入れたわけでもないのに心の中で固く決意した。
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