秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
 とは言え稽古が終わり、劇場に入ってしまえば、非常に慌ただしく、なかなか落ち着かない。
 衣装やメイクをつけて、舞台上で冒頭からラストまで細かくリハーサルを繰り返す。主役だから出番が多く、休憩も全体の食事休憩のタイミングくらいでしか取れない。
 それから本番通りに一気に通すゲネプロ、製作発表にインタビュー。そして慌ただしく初日の公演を迎える。
 無事に初日が終われば、関係者で簡単なパーティーがあり、帰国する海外のスタッフと別れを惜しみ、そこからは毎日ひたすら同じ公演を繰り返す日々だ。
 ルーティーンのような毎日が始まったら始まったで、特にミュージカルの最中は、喉を万全の状態にしておくためにケアも欠かせない。
 当然終演後にウェルメイドに行くこともできず、公演は充実しているのに、心の奥底では悶々としていた。
 勇気を出して連絡先を聞いておけば良かった、とまるで学生のような後悔をしている。

 ある日劇場に入ってロビーでストレッチをしていると、征さんが通り掛かった。
 俺が暗い顔をしていたからだろうか、さすが舞台監督、音もなく近寄ってくる。上演中の舞台裏は静かに移動しなければならないので、スタッフさんたちはみな、音もなく移動するのが得意なのだ。

「暗いぞ、主役」
「……おはようございます、征さん」
「おはよう」
「珍しいですね?」

 大体毎朝舞台上で作業をしているのに、と思って聞いてみた。
 征さんは何やら考え込んでから、ぽつりと呟く。

「ま、お前も息子みたいなもんだからなあ」
「はい?」
「悠真、柚は来ないぞ」
「……え?」
「もう何年も、俺から誘ったことはない」

 ついでに観に行きたいと言われたこともないし、当然今回も言われていない、と征さんは続けた。

「……誘っても、いいんですか?」
「いいんじゃないか」

 これは父親公認ということで良いのだろうか。
 いや、柚さん本人の意思はまるで無視しているけれど。
 征さんは、ポンと俺の肩を叩いて、また音もなく立ち去っていく。
 その背中を見送りながら、ちょっとだけ希望が見えてきて、気持ちが浮上するのを感じた。
 やっぱり、征さんには敵わない。


 しかしどうやって誘うべきか。
 都合の良い日を連絡してくれ、なんて言っても絶対誤魔化されそうだから、もうチケットを手渡したほうがいいな、と考えた。
 観に来てもらうとしたら、やっぱり千穐楽がいい。少しでも特別な公演のほうが。
 もちろんすべての公演に同じだけの熱量を込めているけれど、彼女が特別なんだ、と伝えるためにはそうした方がいいような気がした。

 今回は東京の楽日が土曜日なので、柚さんでも来れるのではないだろうか。
 さっさとチケットを用意してウェルメイドに誘いに行こう。一度断られても、何度か声を掛けてみよう。
 そう思っていた、矢先の出来事だった。

 公演中に、アクシデントはつきものだ。
 何事もなく本番が終わることの方が珍しい。自分に直接起きたことではなくても、台詞が飛んだとか、噛んだとか、声が掠れたとかで落ち込むことはしょっちゅうだし、衣装の早替えが間に合わなくてギリギリになったとか、セットの転換中にものを落としたとか、小道具が手違いで用意されていなかったとか、マイクトラブルだとか、人為的なミスがいくつも重なって、舞台上で焦ることも、今までだって何度もあった。
 大なり小なり何かしら起こる。全員が何の問題もなく終演を迎えるということは本当に難しい。それだけ大人数が関わっている世界なのだ。
 だからこそ一ヶ月以上も稽古をして、何も起きないように体に叩き込むし、何か起きても対処できるようにする。

 そう、わかってはいたつもりだったけれど。

 それでも、今までの自分は恵まれていたのだな、と初めて思った。
 稽古も含めたら百回以上行っている立ち回り。キャストもスタッフも最新の注意を払って、毎朝動きを確認していたシーンで、それは起きた。

 どん、っという衝撃を感じて、一瞬意識が途切れた。
 本来であれば、自分が振りかざした剣で目の前の役者が倒れて、今度は背後から迫ってくる次の相手に向かう。そんな段取りだったはずなのに、目の前に迫るのは役者ではなく堅い鉄骨のセット。そして、脚に鈍い痛み。
 とにかく振り返って、次の相手に剣を振り下ろし、予定通り舞台上から捌ける。

 普段だったら水を飲みにいくのに、それすらも億劫で、思わずセットの壁に寄り掛かった。
 袖から見ていたのだろう、すぐに征さんが飛んでくる。
 肩を支えてもらい、なんとか邪魔にならない場所に移動した。

「大丈夫か」
「……はい」

 小さく頷くと、じっと見つめられた。

 ――ああ、痛いってバレてんな。

「とりあえず、一幕ラストまでは問題ないです」
 
 あとは高台のセットにのぼり、一曲歌うだけで一幕は終わる。ダンスがあるわけでもない。大きく動く必要もないし乗り切れる、そう思った。
 征さんは小さくため息を吐くと、インカムで何やら話し始めた。
 恐らくプロデューサーに報告しているのだろう。
 暗くてよく見えないものの、衣装の上から脹脛を確認してみるが、血は出ていないようだ。触ると痛いから打ったのかもしれない。もしかして断絶? と想像して、ぞわっと背筋が冷たくなった。
 それでも普段は一人で難なくこなすセットへの移動を、スタッフ何人かに支えてもらいながら辿り着き、無事に歌い切って一幕は終了した――らしい。

 正直、この辺りからもう記憶がなかった。
 恐らくスタッフが何とか運んでくれて楽屋に戻ったのだろう。幕間の休憩中は、とにかく横になって休んだ。
 脚は固定すればいける。とにかく途中で強制的に終演、という事態は避けられるはずだ、と感じていた。
 本番中はアドレナリンが出ているせいで、痛みも感じにくい――というのは、今まで本番でトラブルに遭遇した役者仲間の経験談だ。まさか実体験することになるとは思わなかったが。

 常備している痛み止めを飲み、目を閉じてじっと休んでいると、額にひんやりした感触があり、すっと意識が戻ったように感じた。

「柚さん……?」

 あれ、幻を見るなんて思ったより重症なのか? と焦ったけれど、驚いたことに本物だった。
 どうやら佐々木が呼んでくれたらしい。
 最悪、途中で公演中止という判断が下るかもしれない、と思ったのだろう。
 さすがマネージャーだな、と思いながら、甲斐甲斐しく世話をしてくれる柚さんの姿をぼんやりと眺める。
 出会ってそんなに経っているわけでもないのに、こんなに安心して任せられるのは、柚さんから征さんと同じ空気を感じるからなのかなあと思いながら、再び目を閉じた。
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