秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
 柊木さんの家でひととおりの家事を済ませて、夕飯も作り終えた。
 温めるだけだからあとは本人に任せて帰ってしまおうか、という考えが一瞬過ぎったけれど、約束を破るのはさすがに良くないと思い直し、それでもしばらくすると逃げたくなり……と一人でうだうだと繰り返していると、携帯が鳴った。
 佐々木さんだ。
 また何かあったのだろうか、と不安に駆られ、慌てて通話ボタンを押す。

 だが、聞こえてきたのは、のんびりとした声だった。

『あ、柚さん。今どこですか?』
「柊木さんの家ですけど……」
『やっぱり。ですよね?』
「え? あの柊木さん、大丈夫ですか?何かありました?!」

 勢い込んで尋ねると、一瞬の間ののち、佐々木さんが吹き出した。

『すみません。いえ、悠真が柚さんは今日いないんじゃないかって不安がって』
「え?」
『いなかったら迎えに行くってしつこいんで。あ、もう下に着いてるんで、今上がります』

 そう言うやいなや、電話は切れた。
 最後ちょっと意味がわからなかったけれど、もう帰ってくるのか、と慌てて食事を温めに立ち上がった。

「お、おかえりなさい」
「ただいま」

 玄関で出迎えると、帰ってきた柊木さんはいつものような笑みを浮かべた。
 荷物を受け取って、手を洗いに洗面所に向かう柊木さんの背を、目で追ってしまう。
 若干動作はゆっくりだけど、見ていてもわからないくらい、自然に歩けている。 

「今日は、私もいただいてもいいですか?」
「はい、もちろん」

 珍しく佐々木さんがそう言ったので、慌ててもう一組食器を用意した。
 久し振りに三人で食卓を囲む。

「悠真、今度の月曜日だけど、オフにしたから」
「へえ。珍しいね」
「お前が怪我したからだろ。取材はリスケしたから、大人しくしてさっさと治せ」
「わかってるよ。あ、じゃあ家でサイン書いちゃうから、カード持ってきてくれる?」
「それもそうだな、準備しておく」
「ここで書き溜めたら、大阪には持っていかずに済むな」
「持っていくのは俺だけどな」

 まるで軽口を叩き合っているような二人だ。
 柊木さんにはファンクラブがあり、会員さんの誕生日には直筆のサインを入れたメッセージカードを送っているのだそうだ。なにぶん人数が多いので、楽屋などで暇をみつけてはちょこちょこサインを書いているらしい。
 ちょうど一週間後、来週の土曜日で東京公演は千穐楽をむかえる。その後イベントを挟んで大阪公演と言っていた。イベントは”特にリハーサルを必要としない簡単なもの”だそうだけれど、それでも丸一日はかかるだろう。
 その後、大阪に移動して現地の劇場でリハーサルをして公演。
 となると、私がここで“バイト”をするのも、あと一週間ちょっとということになる。

「柚さんは、お休みでもいいですよ?」
「え?」
「休演日ですし。夕飯はまあ、出前でも取らせます」

 佐々木さんの言葉に、大袈裟に肩を震わせてしまった。
 柊木さんは「ひどいな」といいながら笑っている。

「ウェルメイドと違って、悠真の世話だと休みが無くなっちゃいますから」
「でも」
「もちろん、来ていただけるなら助かります」

 佐々木さんはそう言って私に選択肢を残してくれた。
 ――気まずい、どうしよう、なんてあんなに迷っていたのに、柊木さんと会う貴重な機会を失ってしまうのが、勿体なく感じられた。
 食後、片付けを終えると、佐々木さんが珍しく送ってくれるという。
 片付けの間、柊木さんと二人で手帳を見ながら話し合っていたから、何か打ち合わせでもしていたのだろう。
 有り難くお言葉に甘えることにして、玄関まで見送ってくれる柊木さんに挨拶をした後、二人で車に向かった。
 佐々木さんは、何度か送ってくれたことがある私の家の住所をナビに呼び出して、スムーズに車を発進させた。
 柊木さんはいつも後部座席に乗るそうだけど、さすがにそれは申し訳なくて私は助手席だ。
 滑らかに進む車内で、一言二言会話を交わす。世間話なのにいつものように続かないからだろうか、佐々木さんが小さく息を吐いた。

「今日、悠真の芝居がいつもと違ったんですよね」
「え?」
「あ、別に間違えたとか酷かったとかってことじゃないですよ? でもちょっとテンポが速いというか」
「そう、ですか」
「まあ気づいた人もいないと思いますけど」
「佐々木さんは、さすがですね。そんな細かいところまで気付くなんて」

 そう言うと、佐々木さんは苦笑いを浮かべる。

「それはね。怪我してからほとんど毎日観てますし。例えば、今日ぼーっとしてるな、とか、機嫌がいいな、とか。そういう感覚と同じです」
「……へえ」

 言わんとすることはわかるけれど、それを見分ける想像がつかなかった。

「それに悠真の芝居が変わるって、珍しいので」
「そうなんですか?」
「はい。もともと、なんていうのかな、憑依型ではないんですよ。役を下ろすというより、役に近づいていくタイプ」

 顔を顰めていると、佐々木さんは「感覚的すぎてわかり辛いですね」と笑った。

「で、今日みたいに珍しいことが起きたのは、柚さんと何かあったのかなって思ったんです」

 突然佐々木さんが言い出したので、衝撃で固まった。
 ぴくりと自分の頬が引き攣るのを感じる。

「なんで、ですか」
「うーん。何となく」
「はい?」
「本当に何となくわかるんです。まあ、彼を見ているのが私の仕事なので」
「そういうもの、ですか」
「スポーツ選手のコーチと一緒ですよ。自分の体より彼の方が大事ですからね」

 佐々木さんはさらりと言うけれど、マネージャーというのは凄い仕事だな、と改めて感じる。

「特にうちの事務所は小さいので、どうしても悠真に負担がかかってしまいますから」

 だから、と佐々木さんは続けた。

「悠真にとって良くないことは、排除しなければならないんです」
「……っ……」
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