秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
 ちょうど信号が赤に変わった。佐々木さんは横断歩道を行き交う人たちをまっすぐに見つめている。だから私と目が合っているわけではない。
 けれど、そんな佐々木さんを見ていることができず、思わず目を逸らしてしまった。

「でも最初に貴女を頼ったのは私です。悠真にとって、それが絶対に良いと思ったんですが……」
「……すみません」
「なぜ?」

 間髪入れず尋ねられて、口籠る。答えられない自分が情けない。
 膝の上でぎゅっと手を握り締めた。

 佐々木さんはふっと息を吐いた。

「こちらこそすみません。詰問してしまったみたいで。だけど……貴女には、きちんと悠真を見てもらいたいです」
「え……?」
「あいつ、外面がいいんですよ。すぐ取り繕うっていうか……俳優としてはいい事なんですけどね。でも本質は全然違いますから」
「そんなこと……」
「あります。長年の付き合いの俺が言うんで間違いないです」
「そう、なんでしょうか」
「はい。だから、一度よく話してみてください」

 佐々木さんはそう言って、にっこり笑った。
 その笑顔は、どことなく柊木さんに似ている。


 家に着いて、職場で利用しているアカウントにメールが届いていることに気づいた。同じ部署の先輩だ。土曜日なのにご苦労なことだな、と思いながらスマホで確認しようとして、思わず手が止まる。
【優しい先輩に感謝しろ】というタイトルで、全然仕事っぽくない。
 一体なんなんだ、と思いながら開封すると、本文は『勿体無いからデータ渡しとくけど、使わないやつだから安心しろ』という一文のみだった。写真がいくつか添付されていたので、とりあえずひとつ開いてみる。

「え」

 思わず、口元を手のひらで覆ってしまい、スマホがつるりと滑った。
 慌てて拾い上げ、送られてきたすべての写真を確認する。

 先日の、ハウススタジオで撮影した写真だった。
 ダイニングで向かいあって座る柊木さんと私や、二人で冷蔵庫を覗いている後ろ姿、洗い物をしている様子、そして柊木さんが後ろから私を抱きしめるようにフライパンを持つショット。
 すべて、私の顔も完全に写っている。むしろ二人の光景を撮ったような写真ばかりだ。
 だから“使わないやつ”なのだろう。
 柊木さんにピントを合わせていたはずだから、偶然撮れたものなんだろうけれど、どの写真の自分も見たことがないくらい自然に笑っていて、とても楽しそうだった。
 というか。
 ――これじゃ好きだってバレバレだし。

 この写真を先輩も見たのかと思うと恥ずかしくなってしまう。
 それほど、写っている私は幸せそうだった。この時は自覚していなかったけれど、どうやらとっくに惹かれていたらしい。
 あんなに身構えて、警戒していたつもりだったのに、意地を張っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。

 翌日の日曜日は、公演後に別の仕事もあるそうで、主のいない家で夕飯を作り置いただけで、柊木さんと会う機会はなかった。

 そして月曜日。会社に出勤して例のメールを送ってきた先輩にお礼を言うと、試し刷りしたからと写真を一枚貰った。メールに添付されていた、柊木さんと私がダイニングテーブルで向かい合っているショットだった。

「それにしても、相手が芸能人って大変そうだよな」
「はい?」
「え、付き合ってんじゃねーの?」

 先輩はさらりとそう言った。
 慌てて否定したけれど、先輩は「あの人、だからあんな無茶を言ってきたんだと思ったのに」とかなんとか呟いていた。確かに、突然私を代役に、なんて普通考えないからそう思ったのだろう。
「ま、感謝してくれよー」と先輩は、訳知り顔で笑った。私は、上手く返事ができなかった。
 もっとも辛うじて、感謝してますよ、と伝えれば、じゃあその分これよろしく、と書類を堆く積まれてしまったのだけれど。
 せっかくの写真は、その中に埋もれないよう急いで手帳に挟んだ。

 なんとか仕事を終わらせて定時で上がった私は、柊木さんの家に急いだ。
 少し食材を買い足して、いつものようにマンションのオートロックを解除し、柊木さんが在宅しているところに後から行くのは初めてだな、と気づいた。
 主がいるのに勝手に鍵を開けるのもよくないと思い、辿り着いた玄関でインターフォンを押す。
 そろそろ着きます、とか連絡ができればよかったのだけれど、あいにく未だに私は柊木さんの直接の連絡先を知らない。

『はい……って柚さん!?』

 インターフォンが繋がった途端、焦ったような柊木さんの声が聞こえて、返事をする間もなくぶつりと音声は切れてしまった。
 すぐにがちゃりとドアが開いて、眼鏡を掛けた柊木さんが信じられないものをみるような目で私を見つめていた。

「どうしたの?」
「え?」
「今日は来ないかと思ってた」
「あれ、昨日佐々木さんには言ったんですけど……」

 夕飯は用意するので、と言ったけれど伝わっていなかったのだろうか。

「あいつ……」
「すみません、帰ったほうがいいですか?」
「え、だめ」

 柊木さんの手が、がしっと私の手首を掴んだ。
 ぐいっと引かれたものだから、よろよろと玄関の中まで進んでしまって、背後でばたんと大きな音を立てて扉が閉まった。

「ごめん」
「いえ……」
「ちょっとびっくりして。さ、どうぞ」

 柊木さんは、私が手にしていた食材の入ったバッグを持ってくれて、すたすたとキッチンに向かってしまう。
 足はだいぶ良くなったみたいだけど、「無理しないでください。持つんで」と声をかけても、柊木さんは「大丈夫」としか言ってくれない。
 慌てて廊下を抜けてキッチンに進むと、リビングでは音楽が流れていた。
 柊木さんは少し音量をさげながら、

「ごめんね、練習してて」
「イベントで歌う曲ですか?」
「そう。昔やったミュージカルの曲なんだけどね。久しぶりだから歌詞を思い出さないと」

 確かに、お客様の前で歌うのに歌詞を見ながら、というわけにはいかないだろう。

「変な話だよね。前に本番やってるんだけど」
「でもその後、何本も別の舞台やってるんですよね? それ全部覚えてられるわけないと思いますけど」
「そう言ってもらえると有難いよ」

 中には一度やった役のことは忘れないで欲しい!と言ってくるファンもいるらしい。
 その役がそれだけ気に入ったってことなんだろうけど、ただでさえひと作品で覚える量が多いんだから、無理な話だと思う。

「人間には反復作業が大事なんだなって痛感する」

 そう言って笑った柊木さんは、楽譜に目を落としている。
 何か話さなければと思って来たものの、小さく口ずさむ柊木さんの歌に、意気込んできた気持ちが凪いでしまった。

 本気で歌っているわけではないとは思うけれど、柊木さんの歌声を独占しながら夕飯の準備ができるなんて、とても贅沢だと思う。
 声が台所まで届くように、いつもよりちょっとだけ火力を弱めて、炒め物をした。本人は、もちろん気づいていないだろうけれど。
 練習がひと段落したところで、夕飯を食べる。二人きりでどうなることかと思ったけれど、柊木さんは美味しいといいながら食べてくれて、さっき歌っていた曲の背景やイベントで話す予定の内容まで教えてくれて、まったく今まで通りの食卓だった。
 けれど私は明日も仕事だから、あまり長居はできない。
 片付けを手早く終えると、山のように積まれたポストカードにサインをし続けている柊木さんの向かいに座った。

「あの」
「あ、もうこんな時間か」

 柊木さんはペンのキャップをすると、立ち上がった。
 待って、とその背中を目で追うけれど、途端に、あれなんていうんだっけ? と頭が真っ白になった。

 ――好きです、と伝えて。あのキスの意味を、聞いて。

 ぎゅっと組んだ手を握りしめると、俯いた視界に白い封筒が飛び込んできた。

「え?」
「これ、受け取ってほしい、です」

 間近に立った柊木さんは、まるで舞台の上にいるときのように真剣な瞳だった。
 その気迫に押されるように、封筒を受け取って、中身を確かめる。

「千穐楽の、チケット?」
「柚さんが、舞台を観たくないんだろうなって言うのはわかってるんだけど。でも俺からは切り離せないものだから」

 千穐楽なんて、満員御礼に決まっているんだからチケットを手に入れるのは大変だったはずだ。
 子どもの頃、どの回を観に行くか相談していて「千穐楽はだめよ」と母に言われたのを思い出す。

「ありがとうございます。楽しみに、してます」

 そう伝えると、柊木さんはふっと目元を緩めた。

「うん、こちらこそありがとう」

 チケットを挟もうと手帳を取り出して。
 ページを捲ると、はらりと今日受け取った写真がテーブルの上に落ちた。
 咄嗟に拾い上げて、同じようにページに挟んで手帳を綴じたけれど、柊木さんの視線はずっと私の手元を追っていて――。

「あ、あの。私、柊木さんとお話ししたいことがあって」
「え、あ、うん。俺も」

 お互いに黙ってしまい、奇妙な沈黙が続く。
 ドキドキと自分の胸の音が聞こえてきて、ぎゅっと目を瞑ったところで、ふっと柊木さんが息を吐いた。

「千穐楽の日、少し時間もらえる? 終わってから」
「はい、もちろん」
「じゃあ、その時ね」

 そう言われて、こくんと頷くので精一杯だった。
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