秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
「どうでした?」
「拍手しすぎて手が痛いです」
「今日のカーテンコールは長かったですからね」

 終演後、人混みのなかで何とか佐々木さんと合流した私は、出口に向かう人の流れに逆らうように楽屋へ向かっていた。
 関係者以外立ち入り禁止、と書かれた扉をひとつ入れば、先日怪我をした柊木さんの元を訪れた時にも通った通路に出た。
 正直、前回ここを通った時は気が動転していて、どこをどう通ったか、よく覚えていない。
 今日は前回よりバタバタと通るスタッフが多くて、雰囲気はまるで違う。
 前回は、怖いくらいしんとしていて、ピリピリとした空気が張り詰めていたけれど、今回はまるで工事現場のようだ。

「今日中にセットをバラして、大阪に出発するそうです」

 子どもの頃を思い出しても、さすがに千穐楽の舞台裏にお邪魔したことはない。物珍しそうに見ていたからか、佐々木さんが説明してくれた。
 セットや衣裳を合わせるとトラック数台分にもなるという。
 千穐楽のあとは戦争だ、と言っていた父の言葉を思い出す。多分、今日が一番忙しい日だろう。

 エレベーターで楽屋エリアに向かうと、その通路は役者や面会客で溢れていた。
 一番奥の柊木さんの楽屋まで、人集りをすり抜けながら歩いていく。手前の大部屋はアンサンブルキャストが使い、主役は奥の一番広い個室楽屋を当てがわれるらしい。
 何度も、「すみません、失礼します」と会釈を繰り返し、道を開けてもらって奥まで辿り着く。
 暖簾越しに声を掛けようとした佐々木さんの動きが、ぴたりと止まった。
 思わず見上げると、珍しく困ったように眉尻を下げている。
 と、同時に中の声が聞こえてきた。

「悠真さん、何でメイク落としちゃったんですか?! 一緒に写真撮って欲しかったのに!」
「ごめん。ちょっと急いでて」
「そんなー。東京楽ですよ? みんな撮りたがってたのに」
「ごめんね。でも大阪があるじゃない」
「そうですけどー」
「終わってからだとメイク崩れるし、大阪では始まる前に撮ろうよ」
「うーん、でもこの衣装がお気に入りなんですよー」
「じゃあ大阪の舞台稽古は?」
「今日載せたかったのに」
「ごめんね。とりあえず着替えるから……」

 柊木さんが会話を打ち切った後、すっと暖簾の隙間から出てきた女性の姿に、思わず息を呑んだ。
 シンプルな白いドレスを着たその人は、婚約者を演じていた女優さんだ。貰ったプログラムで休憩中に名前を確認したはずだけど、咄嗟のことで思い出せない。
 むすっとして出てきた彼女だが、佐々木さんを見ると一変してにっこり笑った。

「お疲れ様です、佐々木さん!」
「ご無沙汰してます、早乙女さん」

 佐々木さんがそう呼びかけて、思い出す。早乙女華さんだ。小さな顔に大きな瞳。高い声ではきはきとセリフを喋る姿が印象的だった。
 柊木さんと二人で並んだシーンは美しかった。
 作中では大人しい婚約者の役だったけれど、素顔の彼女はもっと高い声のようだ。

「本当ですよ〜。あ、柊木さん、着替えるそうですよ」
「はい。早乙女さん、東京公演ありがとうございました。大阪もよろしくお願いしますね」
「こちらこそです。佐々木さん、大阪いらっしゃいます?」
「そうですね。ベタではないですけど」
「じゃあまたみんなでご飯行きましょ。東京は慌ただしかったし」
「はい、ぜひ」
「やった!」

 細い体が喜ぶとぴょこぴょこと跳ねる。やっぱり可愛い。舞台上でみるよりさらに。

「佐々木? 早いね」

 ふいに暖簾の合間から柊木さんが顔を出した。
「あ」と、女優の早乙女さん、が表情を輝かせる。柊木さんに触れようとしたのか、華奢な手を伸ばした。
 でも、その前に。

「柚さん、入って」
「えっ?」

 ぐいっと腕を引かれて、腰に手がまわされ、暖簾の内側に引き込まれた。そのまま室内に連れ込まれそうになって。畳に上がる前に慌ててにもつれるようにして靴を脱ぐ。パンプスがころんと転がった。

「では、早乙女さん、また」

 佐々木さんが暖簾の隙間から顔を出し、にこやかにそう告げた。
 暖簾の外で何やら文句のような声が上がっていたけれど、柊木さんも佐々木さんもまるで気にしていないようだ。
 
「来てくれてありがとう」

 楽屋の真ん中まで進むと、柊木さんの手が離れていく。

「こちらこそ、ご招待ありがとうございました」
「……どうだった?」

 小声で尋ねてくる柊木さんに、受けた衝撃をそのまま伝えようとして。

「ごめん、待った!」
「え?」
「後でゆっくり話そう? なんか緊張してきた」

 そう言って柊木さんは頬を搔く。

「悠真、シャワーは? ていうか全然片付いてないけど」

 佐々木さんの呆れた声が響いて、改めて楽屋内を見渡すと、たしかに荷造りの真っ最中といった感じだ。
 開かれた状態で、ほぼ空っぽのスーツケースや、閉じられていない段ボールがあちこちに置かれている。そしておそらくその中に詰めようとして、まだ手付かずのものがまわりに溢れている。そもそも、鏡前にはまだメイク道具も整然と並んでいる。

「わかってるよ!」
「とりあえずシャワーして。はい」

 佐々木さんがバスタオルを渡すと、柊木さんは大きく息を吐き出して部屋の隅の洗面スペースに消えていく。
 一方やれやれ、とため息をついた佐々木さんだけど、どこかほっとした表情でその背中を見送っていた。

「良かったですね。東京公演が無事に終わって」
「本当です。柚さんも観に来てくれましたし」
「それは別に」
「良かったんですよ。さて、とりあえず片付けないと」
「あ、手伝います」

 佐々木さんは、柊木さんの着替えやメイク道具を仕分けながらスーツケースに詰めていく。
 私は持ち込まれた加湿器やポットなどの家電を箱に詰めることにした。

「すみません、こんなつもりでお呼びしたわけじゃなかったんですけど」
「大丈夫ですよ。それに私、今は柊木さんの身の回りのお世話する担当ですから」
「ふっ。そうでしたね。それにしてもあいつは片付けが全然上手くならないな」

 佐々木さんは楽屋を見渡してまたため息を吐いた。この前来た時より明らかに散らかっているから、多分片付けようとした結果だろう。でも収納は得意ではないようだ。

「お家は綺麗ですけどね」
「本人も自覚があるだから、物を置かないようにしてるみたいですよ」

 たしかに、柊木さんの家には必要最低限の家具以外はほとんど置いていない。楽譜やCDはラックに綺麗に保管されているようだったけど。
 話しながら手は黙々と動かしていると、シャワーを浴びた柊木さんが出てきた。
 何度か見ているはずなのに、濡れた髪をがしがしとバスタオルで拭く姿を直視できず、思わず目を逸らしてしまった。

「なにふたりで楽しく話してんの?」
「お前が全然片付けないから柚さんが手伝ってくれてるんだろ」
「……え、ごめん」
「いえ、むしろ勝手にやってすみません」
「いやいや! 謝ることないから。有難いくらいだから」
「ほら、お前もさっさと片付けろ」
「はーい」
「あ、あと何やればいいですか?」

 きょろきょろと楽屋を見回すと、すみで柊木さんが手招きした。

「これ差し入れなんだけど仕分けるの手伝ってくれる? 食べ切れないやつはカンパニーに寄付しようと思ってて」
「え、これ全部ですか?!」

 段ボールの中には乱雑に菓子箱が詰められていて、その周りにもバラバラの缶や箱が重なっている。

「そう。柚さんが食べたいやつは持って帰って、後で食べよ」

 柊木さんはけろりとそう言うけれど、有名店の高級チョコレートや地方の銘菓など簡単には手に入らないもので溢れている。

「こんなに食べたら太っちゃいますよ」
「確かに。じゃあ厳選して持って帰ろ」

 そう言ってまるで悪戯を企んだ子どものように笑うので、二人で吟味して、綺麗な缶に入ったチョコレートと焼き菓子を選んだ。
 残りは段ボールに詰め直し、封は出来ないけれどなんとか一箱に収まった。

「改めてすごい量ですね……」
「いつもは溜まらないうちにお裾分けするんだけどね」
「早く家に帰りたくて後回しにしてたからだろ」

 苦笑いする柊木さんから段ボールを受け取った佐々木さんは、顔を顰めたまま楽屋を出て行った。
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