秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
「いいんですか?」
「ん。スタッフさんたちへの挨拶も兼ねてるから、任せてる」
そう言いながら楽屋暖簾を外した柊木さんは、カラカラと引き戸を閉めた。各楽屋には扉があるけれど、なぜかその扉は閉めず、かわりに暖簾を掛けることが多い。そしてその暖簾は、先輩俳優が作って、後輩に差し入れることが通例なのだという。柊木さんの楽屋暖簾も、澄んだ青い生地に大きく『柊木悠真さん江』と書かれた他、テレビでも見かける大物俳優の名前が入っていた。
「初めてメインキャストに抜擢されたときに貰ったんだ。お祝いで」
柊木さんは、大事に外した暖簾を差し出した。
私が受け取ってもいいのだろうか、と思いつつも、丁寧に畳んで大事そうに置いてあった専用の箱にしまう。
「専用の暖簾を貰ったら一人前だって、聞いたことがあります」
「そうだね。でも今思うと、暖簾をあげられるようになったら、やっと一人前って感じかな」
「柊木さんから、みんな貰いたいんじゃないですか」
「まさか。まだまだ恐れ多いよ」
柊木さんは苦笑いしている。
でも舞台を観た限り、柊木さんに憧れている若手はきっといっぱいいる。そんな後輩に暖簾を作ってあげたら、誰もが感激するだろう。
でも柊木さんはそんなこと思ってもいないようだ。
よいしょ、とロックしたスーツケースを立てて、他の段ボールも入り口の近くに運ぶ。
途中で柊木さんが受け取ろうとしたので、慌てて止めた。
女の子にやらせるなんて、と言うけれど、こちらからしたら怪我人に持たせるなんて、という気持ちだ。
でも、家電の入った段ボールは予想より重くて、持ち上げた瞬間にぐらりと体が傾いた。
「きゃっ」
なんとか前に倒れないようにバランスを取って、段ボールを床に置き直す。
「柚さん?!」
「ごめんなさい、びっくりして」
加湿器が何台か入っているのだ。自分が詰めたものを思い返せば、ある程度重いのは当たり前だった。
何も考えずに持ち上げようとした自分が悪いのだから、と苦笑しながら振り向けば、慌てて飛んできてくれたのだろう、目の前に柊木さんの顔があった。
あ、と思ったときには背中に手が回っていて。
とん、と柊木さんの胸に引き寄せられる。
「良かった、転ばなくて……」
緩く引き寄せられているだけで、柊木さんの熱とシャンプーの匂いが香ってきて頭がくらくらする。
「すみません……」
「柚さん悪くないでしょ」
そう言って柊木さんは、私の両腕をそっと掴んだ。
一瞬、息をするのも忘れてしまい、しんとした気配が満ちる。
「しつこいって思われるかもしれないけど、言わせてほしい」
真正面から向かい合って、じっと顔を覗き込まれる。
「好きだよ」
「え……?」
囁かれた言葉に目を瞬かせれば、柊木さんが不安そうに見つめてくる。
全身の力が抜けて、すとんと床に座り込んでしまった。
「ごめん」
大きな手が私の頭を撫で、頬に滑り落ちてきた。
どくどくと、けたたましく鳴る自分の胸の音が室内に響いているような気がする。
「往生際が悪いって、わかってるんだけど。こんなに諦められないの、初めてで」
柊木さんの伏せた瞳を彩る睫毛が、揺れている。
こんなに近い距離にいるのだ、と思うと同時に、不安ではなく喜びを感じている自分に気づいた。
頬を撫でる大きな手に、自分の手を重ねる。
「私も、好きです」
「え?」
ぽかんと、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような声が漏れ聞こえた。
お互いに、きょとんとした顔で見つめあう。
「え、うそ」
「うそじゃないです」
ぴたりと動きの止まった大きな手を掴み、ぎゅっと指を絡める。
「私も、柊木さんが好きです」
改めてそう言い終わるや否や、反対の腕で力強く抱きしめられた。
さっきよりもっとくっついて、柊木さんの鼓動も私と同じくらい早く高鳴っているのを感じる。
「嫌われてると思った」
「最初は、何なのって思ってましたよ? こっちが嫌がることばっかり聞いてくるし」
「う……ごめん」
「でも最初だけでした」
「うそだ」
「うそじゃないんですって」
「だって、この前……帰っちゃったから」
突然キスされた日のことを思い出す。
「あれは……びっくりして。突然だったし、何も言ってくれないし」
「俺の気持ち、絶対バレてると思ってた」
「いや、普通気づかないですよ」
「佐々木には一瞬で気づかれたから」
「大体、人気俳優にもしかしたら好かれてるかも? なんて思う人います?」
「俳優とか関係ないんだけど……そっか、でも柚さんのそういうところが好きなんだった」
さらりと好きと言われて、今更頬が熱くなってくる。
誤魔化すように柊木さんの胸に自分の額を押し付けて――。
引き戸が開く音に、思わず飛び退いた。
入口で佐々木さんが、中途半端な距離で、しかも座り込んだまま向かい合う私たちを呆れた顔で眺めている。
「鍵くらい閉めるように」
「すすすすみません」
「柚さんはいいんですよ、お客様なんだから。浮かれてる悠真に言っています」
「わかってるよ!」
「さ、それでは帰りましょうか」
佐々木さんはそう言って、私がバランスを崩した段ボールを軽々と持ち上げた。
柊木さんの手がまた近づいてきて、ぎゅっと指を絡めるように握られる。
「悠真、スーツケースくらい持てるよな」
「だからわかってるって!」
表情を変えずにこちらを見遣った佐々木さんの言葉に、名残惜しそうな親指が私の手を撫でて離れていく。
わずかに苦笑したような柊木さんと目が合った。
「早く帰って、ゆっくりしよ」
耳元に囁かれたかと思うと、こめかみにちゅっと触れられた。思わず佐々木さんを見たけれど、ちょうど荷物と格闘しているところで気づいていないようだ。なんだかんだ柊木さんも抜け目ない。
もう、と思いながらも、二人立ち上がり、楽屋を後にした。
「ん。スタッフさんたちへの挨拶も兼ねてるから、任せてる」
そう言いながら楽屋暖簾を外した柊木さんは、カラカラと引き戸を閉めた。各楽屋には扉があるけれど、なぜかその扉は閉めず、かわりに暖簾を掛けることが多い。そしてその暖簾は、先輩俳優が作って、後輩に差し入れることが通例なのだという。柊木さんの楽屋暖簾も、澄んだ青い生地に大きく『柊木悠真さん江』と書かれた他、テレビでも見かける大物俳優の名前が入っていた。
「初めてメインキャストに抜擢されたときに貰ったんだ。お祝いで」
柊木さんは、大事に外した暖簾を差し出した。
私が受け取ってもいいのだろうか、と思いつつも、丁寧に畳んで大事そうに置いてあった専用の箱にしまう。
「専用の暖簾を貰ったら一人前だって、聞いたことがあります」
「そうだね。でも今思うと、暖簾をあげられるようになったら、やっと一人前って感じかな」
「柊木さんから、みんな貰いたいんじゃないですか」
「まさか。まだまだ恐れ多いよ」
柊木さんは苦笑いしている。
でも舞台を観た限り、柊木さんに憧れている若手はきっといっぱいいる。そんな後輩に暖簾を作ってあげたら、誰もが感激するだろう。
でも柊木さんはそんなこと思ってもいないようだ。
よいしょ、とロックしたスーツケースを立てて、他の段ボールも入り口の近くに運ぶ。
途中で柊木さんが受け取ろうとしたので、慌てて止めた。
女の子にやらせるなんて、と言うけれど、こちらからしたら怪我人に持たせるなんて、という気持ちだ。
でも、家電の入った段ボールは予想より重くて、持ち上げた瞬間にぐらりと体が傾いた。
「きゃっ」
なんとか前に倒れないようにバランスを取って、段ボールを床に置き直す。
「柚さん?!」
「ごめんなさい、びっくりして」
加湿器が何台か入っているのだ。自分が詰めたものを思い返せば、ある程度重いのは当たり前だった。
何も考えずに持ち上げようとした自分が悪いのだから、と苦笑しながら振り向けば、慌てて飛んできてくれたのだろう、目の前に柊木さんの顔があった。
あ、と思ったときには背中に手が回っていて。
とん、と柊木さんの胸に引き寄せられる。
「良かった、転ばなくて……」
緩く引き寄せられているだけで、柊木さんの熱とシャンプーの匂いが香ってきて頭がくらくらする。
「すみません……」
「柚さん悪くないでしょ」
そう言って柊木さんは、私の両腕をそっと掴んだ。
一瞬、息をするのも忘れてしまい、しんとした気配が満ちる。
「しつこいって思われるかもしれないけど、言わせてほしい」
真正面から向かい合って、じっと顔を覗き込まれる。
「好きだよ」
「え……?」
囁かれた言葉に目を瞬かせれば、柊木さんが不安そうに見つめてくる。
全身の力が抜けて、すとんと床に座り込んでしまった。
「ごめん」
大きな手が私の頭を撫で、頬に滑り落ちてきた。
どくどくと、けたたましく鳴る自分の胸の音が室内に響いているような気がする。
「往生際が悪いって、わかってるんだけど。こんなに諦められないの、初めてで」
柊木さんの伏せた瞳を彩る睫毛が、揺れている。
こんなに近い距離にいるのだ、と思うと同時に、不安ではなく喜びを感じている自分に気づいた。
頬を撫でる大きな手に、自分の手を重ねる。
「私も、好きです」
「え?」
ぽかんと、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような声が漏れ聞こえた。
お互いに、きょとんとした顔で見つめあう。
「え、うそ」
「うそじゃないです」
ぴたりと動きの止まった大きな手を掴み、ぎゅっと指を絡める。
「私も、柊木さんが好きです」
改めてそう言い終わるや否や、反対の腕で力強く抱きしめられた。
さっきよりもっとくっついて、柊木さんの鼓動も私と同じくらい早く高鳴っているのを感じる。
「嫌われてると思った」
「最初は、何なのって思ってましたよ? こっちが嫌がることばっかり聞いてくるし」
「う……ごめん」
「でも最初だけでした」
「うそだ」
「うそじゃないんですって」
「だって、この前……帰っちゃったから」
突然キスされた日のことを思い出す。
「あれは……びっくりして。突然だったし、何も言ってくれないし」
「俺の気持ち、絶対バレてると思ってた」
「いや、普通気づかないですよ」
「佐々木には一瞬で気づかれたから」
「大体、人気俳優にもしかしたら好かれてるかも? なんて思う人います?」
「俳優とか関係ないんだけど……そっか、でも柚さんのそういうところが好きなんだった」
さらりと好きと言われて、今更頬が熱くなってくる。
誤魔化すように柊木さんの胸に自分の額を押し付けて――。
引き戸が開く音に、思わず飛び退いた。
入口で佐々木さんが、中途半端な距離で、しかも座り込んだまま向かい合う私たちを呆れた顔で眺めている。
「鍵くらい閉めるように」
「すすすすみません」
「柚さんはいいんですよ、お客様なんだから。浮かれてる悠真に言っています」
「わかってるよ!」
「さ、それでは帰りましょうか」
佐々木さんはそう言って、私がバランスを崩した段ボールを軽々と持ち上げた。
柊木さんの手がまた近づいてきて、ぎゅっと指を絡めるように握られる。
「悠真、スーツケースくらい持てるよな」
「だからわかってるって!」
表情を変えずにこちらを見遣った佐々木さんの言葉に、名残惜しそうな親指が私の手を撫でて離れていく。
わずかに苦笑したような柊木さんと目が合った。
「早く帰って、ゆっくりしよ」
耳元に囁かれたかと思うと、こめかみにちゅっと触れられた。思わず佐々木さんを見たけれど、ちょうど荷物と格闘しているところで気づいていないようだ。なんだかんだ柊木さんも抜け目ない。
もう、と思いながらも、二人立ち上がり、楽屋を後にした。