同期の姫は、あなどれない
 私はテーブルに置かれたデザートの蓋を開けようとして、宇多川さんからのメールに返信していないことを思い出した。

 社用のスマートフォンを手に取って、もう一度送られた文面を読む。少しの間逡巡して『ご心配をおかけしてすみません。また機会があればよろしくお願いします』という、当たり障りのない文章を打って送信した。
 肩の荷が下りて、無意識に大きく息を吐く。

 早瀬に気があるからだろ、という指摘はにわかに信じがたい。
 けれど、辻褄の合わないことも些細な違和感も、そう考えれば説明がついてしまった。

 どんな理由があったにしろ、まるで罠にかけるみたいに接触されていたのかと思うと、やはり少し警戒してしまう。姫の言っていたように、これからはあまり顔を合わせる機会もなくなるタイミングだったことは、よかったのかもしれない。

 それと同時に、頭に一つの疑問が浮かぶ。
 私が宇多川さんに誘われようと騙されて付き合おうと、姫にとっては何も関係はないはずで。
 それなのに、どうして姫がそこまで気を回してくれていたのか。


 ―――さぁ、試してみる?
 ―――冗談じゃないけど


 途端に、私の頬が熱を持った。

 自分の頭をよぎった一つの甘やかな可能性に、私は振り払うように大きく首を振る。

 (何を考えているの私は……)

 分かっている。
 これは、感じ取ったものを自分に都合がいいように勝手に変換しているだけで、他人が聞けば自意識過剰だと一蹴されるものだということは。

 カップの中のチョコレートムースは二層になっていた。
 上は濃厚で少しビターな味、下は甘い生クリームとチョコレートが合わさり砕いたクッキーも入って食感も楽しい。二つを同時に食べ口の中で混ざり合うと、これまでとは違う新しい味が生まれる。

 まるで今の私の感情みたいだと思う。
 混ざり合った先は、何になるのだろう。

 まだ形を成さないその輪郭を知りたいような、まだ知りたくないような気がする。知ってしまえば否応なしに何かが始まってしまいそうな―――そんな予感がした。


 私は果実サワーが3分の1ほど残ったグラスに手を伸ばし、口を付けた。
 すでに冷たさは失われて炭酸の気も抜けていたけれど、私は気にせず一気に煽るようにして飲み干す。

 私の中で燻りかけていた正体不明の熱が、アルコールで上書きされていくのがふわふわと心地良い。

 ふと廊下の方を見やると、電話を耳に当てて話す姫の背中が見えた。
 その話し声が、だんだんと遠くなっていく。

 そして私は、ふぅわりと意識を手放した。

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