同期の姫は、あなどれない
 二人でああでもないこうでもないと言いながら食べるのは楽しくて、気づくと時間はあっという間に過ぎていた。

 それまではどちらかというと賑やかだった店内も、どこかで食事を済ませた後にゆっくりとお酒を嗜むために訪れたような、落ち着いた一人客が増えている。

 私たちはお店を出ると、行きに通った花と緑に溢れた庭の中を歩く。

 (何だろう、花の香りかな?)

 行きのときには気づかなかった甘いいい香りが、鼻腔をくすぐる。
 少し周りを見回す余裕ができた私は、香りの正体を探そうとするけれど、結局見つけることはできないまま出口へと着いてしまった。

 庭を抜けて大通りに出る。
 すると途端に行き交う車の交通量と喧しさに圧倒されて、否応なく現実に引き戻された。

 「姫、今日は誘ってくれてありがとう。お兄さんにもお礼を言っておいてもらえる?」

 駅へと向かう道を歩きながら、私は少し前を歩く姫の背中に向かって声を掛ける。
 お会計をしようと思ったら悟さんがすべて済ませてくれていたのだけれど、すでにソファー席にはおらずお礼を言いそびれてしまっていた。

 「あぁ、また電話で言っておく」

 それと、私はもう一つ気になっていたことを聞いてみる。

 「……あの、姫はよかったの?」

 「何が?」

 「家のこととか、あんまり知られたくなかったんじゃないのかなと思って」

 振り向いた姫は、少し考えるようにしてから軽く首を振る。

 「別に、他人にごちゃごちゃ言われるのは面倒だけど、早瀬はそういうの言いふらすタイプじゃないだろ」

 それは、信頼されていると受け取っていいのだろうか。自然と口元が緩む。それだけを言うとまた前を向いて歩きだした姫の後ろを、私は軽やかになった足取りで着いて行く。

 「お兄さん、本当に透子さんにベタ惚れって感じだったね」

 「ずっとああだよ。主導権は完全に透子さんが握ってる」

 私は悟さんと透子さんの様子を思い浮かべる。
 透子さんを見つめる悟さんの目は慈愛に満ちていて、透子さんの方も言葉や態度で翻弄しながらも、悟さんをとても好きなことが伝わってきた。

 (いいな、あんなふうに一途に思ってもらえて)

 もちろん10年という間にはいろいろなことがあったはず。
 それでも、二人の間には強い結びつきのようなものが感じられた。

 それと比べて、たった3ヶ月ほどの遠距離恋愛で壊れてしまった自分と賢吾との関係が、いかに脆く頼りないものだったのかを思い知らされる。
 しっかりとした絆のようなもので結ばれて見える二人が、純粋に羨ましかった。

 「……透子さんが羨ましいな」

 ぽつりと、口から零れ落ちた。

 「………わっ!」

 前を歩く姫の背中にぶつかった。
 足元ばかり見て歩いていたせいか、立ち止まったことに気づかなかったのだ。

 「ご、ごめんっ、、!?」

 見上げると、驚くほど顔が近かった。
 普段はあまり感情を宿らせない瞳が、今は正面から私を射抜くように見つめている。

 「ひ、姫、、?」

 動揺して、声がかすれる。
 間近に迫る姫の整った顔と、視界の端で流れる姫の黒髪。

 唇に柔らかな感触が触れる一瞬、甘い香りがした。
 キスをされている――そう気づくのに、どれくらいの時間が掛かったのか分からない。

 ただ、あの庭を通ったときに感じた甘い香りのせいで、今も別世界の続きのような、どこか遠くで起こっていることのように思った。


 
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