だって結婚に愛はなかったと聞いたので!~離婚宣言したら旦那様の溺愛が炸裂して!?~
「引っ越そうかな」

 学生時代から住み慣れたマンションは離れがたいが、今後も真人に煩わされてはかなわない。愛着か平穏かと問われたら、もちろん私は後者を選ぶ。

 そうと決まればすぐに動きだし、兄の協力も得ながら一カ月後には新しく見つけたマンションに移り住んでいた。

「うん、快適」

 自宅付近に真人が現れる心配はない。
 勤め先に来る可能性はあったが、彼だってそこまで暇じゃないだろう。なにかあっても、会社の近辺はいつだって通行人がたくさんいるから、大声を上げれば気づいてもらえるはず。

 目論見通り、それから真人は姿を見せなくなった。
 ようやく落ち着いた生活を取り戻した私は、これまで以上に仕事にのめり込んでいった。
 残業も休日出勤も気にならない。失敗して落ち込むことはあったが、それでも投げ出そうとは絶対に思わない。
 仕事は常に面白くて、充実した日々を送っていた。

 けれど、平穏は長くは続かなかった。

「紗季」

 会社を出たところで呼び止められて、足を止める。すぐには、誰の声かわからなかった。
 私をそう呼ぶ男性は家族くらいで、ほかに親しくしている人などいない。ここ最近は仕事ひと筋の恋愛とは程遠い生活を送っていたから、そう呼ばれる思い当たる節がない。

 警戒しながら、そろりと振り返る。
 背後には、とっくに別れたはずの真人が立っていた。

 この人はなにを考えているのかと、思わずため息が漏れる。
 今日はゴールデンウィーク明けの久しぶりの出勤で、かなり疲れていた。早く帰りたくて仕方がない。
 彼と最後に顔を合わせて以来、もう一年半以上が経っていた。学生時代は明るい人だったが、別れてからというもの私の知らなかった顔ばかりを見せられている。

「真人」

 私が反応したことで、彼がこちらへ近づいてくる。

 より鮮明になった真人の様子に、ひゅっと息をのむ。彼の目は、やたらギラギラとしていた。
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