弟、お試し彼氏になる。
・・・
「……あ、起きた」
ひどく、浅い夢を見ていた気がする。
「もう起きてもいいかな」なんて思うなんて、変な夢だ。
怖い夢なら一刻も早く目を開けたいはずだから、そう嫌な夢でもなかったのだろう。
「何してるの? 」
目を覚ました時に、悠が側にいないのは珍しい。
同じ部屋にいて、すぐそこのテーブルのところに座っているのに、それすら慣れなくて落ち着かないなんて。
「絢を描いてる。ごめん、ノート借りたよ。後で千切ってね」
「え!? 」
描いてるって、寝顔を?
恥ずかしいけど、どんなふうに描かれているのか気になって飛び起きる。
「あー」
悠の声はそれほど抗議している様子でもなく、寧ろどこか楽しそうだった。
「……すごい」
「そうかな。本当はもっと綺麗に描きたいのに、最近あんまり描いてなかったから」
「十分……というか、実物より綺麗に描きすぎだよ。それはともかく、すごい……素人目からすると、これでやっていけそうに見えるけど。ごめん、全然何も知らないのに失礼だね」
短い距離だ。
悠の側に駆け寄るのは、ほんの数歩で済む。
あっという間に絵を覗き込んで無遠慮なことを言う私に怒ることもなく、悠は跪こうとする私をやんわりと制して再びベッドへと誘った。
「ううん。絢に褒められるのは嬉しい。でも、特に仕事にしたいとかは思ったことないんだ。描きたいものしか描けないし、絢の絵を他人に見せる気もないし。困るじゃない? 見て好きになられたら」
「……誰もならないよ」
この世で一番くらい不要な心配をする悠は、確かに異常かもしれない。
「昔も、別に好きで描いてたわけじゃないから。与えてもらったゲームに飽きただけ。でも、やっぱり絢に見てもらえるのは嬉しいんだね」
「私は、いつだって見せてもらえたら嬉しいよ。悠の好きな時に描いて」
悠の「嬉しい」や「幸せ」が、私は以外のことからももっと発生したらいい。
少しずつ、意識を私じゃないものにも持っていけるように手伝いたい。
――本当に、そう思ってる?
「家で再会した時、すぐ私だって分かった? 」
「もちろん。名前覚えてたし。父さんが絢に言ったことも概ね事実だと思うよ。絢のことが好きで好きで、また会いたいって思った時、絢じゃなくて母さんに話しかけたのも本当。絢、それからも何度か体調崩してたね。可哀想って思いながら、俺は喜んでた。チャンスでしかなかったから」
「なんで、お母さん? 」
直接話してたら、さすがにもう少しは覚えていそうなものなのに。
「だって、怪しいでしょう? いくら子どもだからって、自分の娘が知らない男と話してたら」
「……そ、そうかな……」
ちょっとよく分からない。
半分くらい頷いたところで静止する私に笑って、更に続けた。
「その頃、家離れてたからね。絢と仲良くなっても、簡単には会わせてもらえないと思ったんだ。俺もずっと母親はいなかったし、父さんが面会に来る時間帯にもしも母さんと話せたら、必然的に会わせられるとは思ったけど。さすがに、二人の気持ちをどうこうまではできないと思うんだけどね。ま、そこまで考える時点でおかしいってこと」
「……ごめん。分かるような分からないようなって感想になるけど、実際、恋愛関係になって結婚したのはあの二人の自由で責任だと思うよ。悠のせいじゃない」
所詮、子どもの発想だ。
悠の思惑通りに事が進んだのは、奇跡かあの二人の運命的出逢いじゃないのかな。
「……ん……。それにね、大人になってみれば、結果的に大誤算だったんだよね。弟って、本当に辛かったんだ。子どもの頃は、絢と一緒にいるにはそれしかないって思ったけど。二人が再婚を決めたのは俺たちが成長してからだし、恋愛対象には見てもらえないし……距離だけは近くて、苦しいしね」
ほらね。
大人からしたらあり得ない、めちゃくちゃな子どものアイデアにすぎない。
「話、聞いてくれてありがとう。……逃げなくて平気? 」
ベッドの上、抱っこしてくれていた腕を少し大袈裟に広げた。
――ほら、今なら逃げられるよ、って合図。