あなたが運命の番ですか?
「末期がんだって」
 ホスピスを出て運転手さんが待っている車へ戻って出発した後、亜紀母さんはそう呟いた。
 母さんは約2年の間、興信所を使って祖父の行方を捜していたそうだ。
 祖父は業務上過失致死罪で5年服役し、出所後消息が分からなくなっていた。
 そして、去年末、母さんは祖父ががん治療のために入院していると突き止めた。しかし、その時にはもう余命宣告を受けていたという。

「罰が当たったのかもしれないわね」
 亜紀母さんは悲しそうに呟いた後、「ダメね、こんなこと言っちゃ」と唇を噛みしめた。
 
「本当は早く優一郎に会わせたかったんだけど、お祖父ちゃんは『合わせる顔がない』って言って聞かなくてね。でも、ついこの間、もうお迎えが近いって思ったのか、『最期に、一目会いたい』って言い出したの」
 亜紀母さんがこの数ヶ月間、休日に1人でどこかへ行っていたのは、祖父を見舞うためだったらしい。
「ほんとワガママな人ね。でも、間に合ってよかったわ。あんたの顔見たら、ちょっと元気になったみたい」
 母さんは呆れたようにため息を吐く。しかし、その表情はどこか安堵しているように見える。

「……そう言えば、お祖父ちゃんの実家が定食屋だって話、あんたにしたことあったっけ?」
 亜紀母さんは突然、そんな話を振ってきた。
「いや、聞いたことないけど」
「そっかぁ……。じゃあ、ちょうど良い機会だし、お祖父ちゃんこと教えてあげる」
 そして、亜紀母さんは祖父の生い立ちについて語り出した。

 戦争の影響で、日本がまだ貧しかった頃――。
 祖父の祖父――、つまり俺の高祖父はいわゆる鉱山成金で、その息子の曽祖父は呑気なボンボンらしく、祖父の実家は比較的裕福だったそうだ。
 曽祖父の口癖は、「強者は弱者を救うのが義務」だったらしい。
 曽祖父は戦後の傷が癒えない人々を救おうと、夫婦で定食屋を開いた。
 貧しく満足に食べられない人々のために、安い値段で定食を振る舞ったそうだ。さらに、農家や漁師からは高値で食料を買い取っていたという。
 当然店は赤字続きで、親の遺産を切り崩しながら生活していたが、呑気な曽祖父は「貧しい人たちを救えればそれでいい」と笑っていたらしい。
 安価で量もある美味い定食が食べられると評判になり、店は繁盛したのだが、店が繁盛すればするほど生活は苦しくなっていった。
 夫婦2人では人手が足りなくなっていったが、従業員を雇う金がなかった。
 
 祖父が小学校高学年の頃、曾祖母が突然心不全で倒れ、30歳手前の若さで亡くなった。原因は、過労だったそうだ。
「お祖父ちゃんは、ひいお祖父ちゃんに対して『母ちゃんが死んだのはお前のせいだ』って罵ったそうなの。きっと、お祖父ちゃんがあんなふうになったのは、その出来事がきっかけだと思う」

 曾祖母の死をきっかけに、曽祖父は定食屋を畳んだそうだ。
 祖父は中学卒業後、曽祖父と縁を切って実家を飛び出した。
 当時アルファはどの学校でも学費が全額免除だったため、働いて生活費を稼ぎながら高校・大学へと進んだという。
 大学卒業後大手飲食チェーン店で働き、20代でコスモバーガーを立ち上げ、その他の飲食チェーン店を開き、1代で前園グループを大きくした。

「お祖父ちゃんはいつも『家族を幸せにしたい。そのために、会社を大きくする』って、私や亡くなったお祖母ちゃんに言ってたの。他人のために家族を犠牲にした父親とは違って、自分は何を犠牲にしてでも家族を守るって……」
 祖父は会社を大きくして巨額の富を得て、家族に何不自由ない暮らしを与えたかったそうだ。
 しかし、その想いは次第に暴走を始め、利益のためにコストカットを重視するようになった。
 番であり、最愛の妻でもあった祖母が病死した後、祖父の暴走はどんどんエスカレートしていき、あの過重労働事件へと発展した。

「私はお祖父ちゃんに、経営方針や労働環境を見直すように何度も言った。でも、お祖父ちゃんは全く聞く耳を持とうとしなかった。それどころか、『強者には、弱者を使い潰す権利がある』なんて言い出したの……。過労死事件が起きて、ご遺族の方々が会社を訴えようとした時も、圧力で握り潰そうとして……」
 亜紀母さんは「信じられなかった」と零す。

「過労で家族を失う悲しみを、お祖父ちゃんが1番分かっているはずなのに……。私はね、子供の頃からお祖父ちゃんのことを尊敬してた。経営者としての才能があって、家族想いで……。そんなお祖父ちゃんの頼みだから、政略結婚だって受け入れた。だけど、あれはもう私が敬愛していた父ではなかった……。私は目を覚ましてほしくて、告発することにしたの」
 亜紀母さんは、昔の祖父に戻ってほしかったと語る。

「ねぇ、優一郎。私はね、あなたと伽耶を幸せにするのが、私の1番の役目だと思ってるの。家族の幸せを1番に考えていたお祖父ちゃんの、そういうところは今でも尊敬してる。でも、そのために他人を犠牲にしたくない。会社を支えてくれている社員たちが良い環境で働けるようにするのも、私の役目だと思ってる」
 亜紀母さんは俺のほうを向いて、優しく微笑んだ。

「あなたはアルファとして生まれたことに罪悪感を抱いてるでしょ?」
 亜紀母さんにそう問われて、俺は思わず苦笑いする。図星だった。
 俺は素直に頷く。
「あなたはアルファにしては繊細過ぎるからね。それに、別れた私の夫やお祖父ちゃんっていう傲慢なアルファ男性ばかり見てきたから、自分もいつかそうなるんじゃないかって恐れてるんじゃない?」
「ははっ、全部見透かされてる」
「母親だからね」
 亜紀母さんは、膝の上に置いている俺の手をギュッと握った。

「あなたは恵まれた環境と強い肉体を持ってる。だから、あなたは容易に他人を傷つけることができてしまう。そして、あなたはそのことを恐れている。だけど、その力で大切な人を守ることだってできるのよ?」
 亜紀母さんは、真剣な眼差しで俺を見つめる。
 
「大切な人を守るか、他人を傷つけるか――。自分の力をどう使うかは、あなた次第よ。でもね、優一郎、あなたはきっと大切な人を守るために、その力を使える子だと思ってる。だから、どうか恐れないで。自分のことを信じてあげて」

 亜紀母さんは、優しく微笑む。
 俺は、ゆっくりと亜紀母さんの言葉を噛みしめた。
 大切な人を守る――。

 俺は、亜紀母さんのような強くて優しい人になりたい。
 大切な人――春川さんには、俺の隣でずっと笑っていてほしい。だから、彼女の笑顔が消えないように、俺が傍で守り続けたい。
 そして、そう思うのは「俺が守らなければいけない」という「使命感」や「義務感」によるものではなく、「守りたい」という俺の「エゴ」だ。
 なぜなら、俺は春川さんのことを――。


 
 その3日後、祖父は安らかに息を引き取った。
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