【改訂版】ぺちゃんこ地味系OLだけど水曜日の夜はびしょぬれ

エクスタシー


 休暇明けの金曜日、会社へ出勤した桃瀬はキリキリ働き、定時で退勤した。アパートへ帰るなりシャワーを浴び、念入りに躰を洗うと、石和と迎える最後の夜に緊張が高まってゆく。……しっかりしなきゃ、泣いちゃだめ……。早くも胸の奥が熱くなってしまう桃瀬は、深呼吸をくり返した。

 桃瀬の来訪を待つ石和は、自室のバーカウンターに立ち、シェーカーをふってカクテルをグラスへ注いだ。アルコールの鋭さをのみやすくするだけでなく、氷と混ぜてシェークすることでキンキンに冷えたカクテルができあがる。バーテンダーの技のひとつで、オーダーがはいるとパフォーマンスとしても客を楽しませることが可能だ。

 石和がカクテルマイスターの資格を有する経緯は、単純に酒類の知識を持つことに憧れたからであり、それを職業として本格的に働く予定はなかった。旧友であるレッドサンズのオーナーは世話焼きで、石和が身につけた技術と能力を、せっかくならばと活躍させる場を提供した。セブンスターは大盛況となる。

 恋人のために最高の一杯を試行錯誤する石和は、右手の薬指にペアリングを嵌めている。互いの思いは確実に深まっていたはずなのに、桃瀬のようすは不自然に変わってしまう。不安材料を取りのぞく必要がある石和は、今夜のカクテルに思いをこめた。

「たのむから、すぐにそうやって自信をなくさないでくれ。きみは、ぼくにとっても大切な存在なんだ」

 地味な見た目は関係ない。気弱で素直な性格を()しとして、共に人生を歩んでいきたい存在である。ただでさえ、あれほどおびえながら処女(バージン)を捧げられた石和は、いくらか桃瀬に執着ぎみだった。


「こんばんは」

「いらっしゃい、よく来たね」

「おじゃまします」

「こっちへどうぞ、カウンターに坐って」


 ウエストリボン付きのワンピース姿であらわれた桃瀬は、ホワイトシャツに黒のボトムスというラフな恰好で出迎えた石和を見て、もう胸がキュンキュンときめいた。本人は普段着のつもりでも、エロティシズムがにおい立つ。……鼻血でそう。石和さんって、なにを着てもカッコいい(バーテンダー姿は神がかっているため除外!)。誰だって、ひと目で惚れちゃうよ……。

 これまで、生活リズムのすれちがいで顔をあわせる機会が少なかった桃瀬は、品位のあるイケおじが階下で暮らしていたとはまったく意識におよばなかった(むしろ、アパートの住人とは、なるべく目をあわせないようにしていた)。

 桃瀬がハイスツールに坐ると、冷蔵庫からグリーンサラダとモッツアレラチーズを添えたローストビーフのワンプレートを取りだす石和は、軽い食事をすすめた。……カクテルのおつまみって、おしゃれだな。居酒屋でビールをのむイメージと全然ちがう。カップラーメンを食べる石和さんとか、想像できないや……。

 石和家の面々は洋食を好むような気がした桃瀬は、味覚にさえ自信を失くす。慣れないフォークを使う手がぎこちなく、恥ずかしくなった。何事も勉強で、少しずつ上達すればいい。

 コーヒーリキュールをベースにしたカフェラテのようなアルコール度の低いショートドリンクといっしょに食事をする桃瀬は、席を立ち、二杯目を準備する石和に、「それは、なんのお酒ですか?」と質問した。おそらく、いま、石和が作っているカクテルが最後の一杯になる。思い出となる味を、しっかり憶えておくためだ。ほのかに甘いバニラの香りがする。

「これはゴールデンドリームだよ」

 リキュールをベースにバニラとオレンジジュースで割るナイト・キャップである。寝酒につき甘口だ。カクテル名には、叶えたい未来という意味がある。永遠の夢とも。ドリームという言葉のひびきに、夢なら覚めないでほしいと願う桃瀬は、カクテルをゆっくり味わった。ほどよく躰が熱くなってきて、無意識にパイプベッドをちらッと見た。その仕草を見のがさず、石和が唇を重ねてくる。

「理乃ちゃん、いいかな」

 同意を再確認され、こくっ、と小さくうなずく。ベッドに移動して口づけをつづけた。石和の吐息が甘く感じるのは、ゴールデンドリームのせいだろうか。肩の力を抜いてまぶたを閉じる桃瀬は、ウエストリボンをシュルッと(ほど)かれた。……ああ、ついに、これが石和さんと過ごす最後の夜になるんだ……。


✦つづく
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