まだ誰も知らない恋を始めよう
 あの時のロジャー・アボットは何かのきっかけがあって、わたしと話をしていくに従って、暴言を吐き殴る寸前まで行きかけたのに。
 彼自身の『こんな気持ちは知られてはいけない』と言う自制心を抑えつけた葛藤や暴力的な衝動は読めなくて、ただ彼は無だった。 
 その言動は、彼の意思からのものじゃなかったからだ。

 ロジャーの心の中には何も無かった。
 それ故、わたしには何も見えず、読めなかったのだ。
 さっきまでのロジャー・アボットは心が空っぽの、まるで誰かの操り人形の様だった。


 それがフィンが花瓶を躊躇なく投げ落とした音と。
 頭が切れた痛みの衝撃で、その『縛り』が解け、我に返ったのだろう。


 すっかり毒気の抜かれたロジャーの肩を抱いて、ペンデルトン氏が何か話されていて、それを聞いたロジャーが微かに頷いていた。

 移動車が到着したとサミュエルさんが知らせに来て、ロジャーを支えて歩き出したステラにわたしは声をかけた。


「ステラ、お願い、今は言えない事があるの。
 言える時が来たら、貴女に話したい」

 そう、今は詳しく話せない。
 だけど話せる時が来たら。


「分かった、待ってる」

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