内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。
プロローグ
最初は白昼夢でも見ているのかと思った。
もう二度と会うことはないと諦めている反面、ふとした瞬間にあの日の出来事を何度も思い返している自分もいて。
どっちつかずの浅ましい心が都合のいい幻を見せているに違いないと、無意識の内に思い込もうとした。
ところが、山から吹き下ろす冷たい風を目をつぶってやり過ごしたあとも、目の前の幻は消えてくれない。
それどころか、凛とした白檀のような甘い響きは、藍里を一瞬で現実に引き戻した。
「藍里? 本当に藍里なのか?」
その場に茫然と立ち尽くす彼の声は、驚きと戸惑いで揺れていた。
鋭い双眸は藍里の一挙手一投足を見逃すまいと大きく見開かれている。
藍里はようやく目の前の光景が幻ではないと悟った。
「蒼佑さん……」
わななく唇をどうにか操り、振り絞るようにして彼の名前を呼ぶ。
三年振りだというのに、彼の名前が口からすんなり出てきたのが自分でも不思議なくらいだ。
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