成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
 その時、パンパンと手を叩く音がフロアに響き渡る。
 真理子が驚いて振り返ると、後ろ手に腕を組んだ専務が橋本を引き連れて、ゆっくりとフロアの真ん中へ歩いてくる様子が映った。

「皆さん、少しいいかな?」

 専務はぐるりと社内を見回した。

「今、お客様は大変不安な気持ちで問い合わせをくださっている。これ以上、心配をかけないためにも、近く社長の会見を開き、そこでご説明すると言ってくれたまえ」

 専務の言葉に、真理子が慌てて身を乗り出した。

「ま、待ってください! まだ何も事実を確認できていません。それなのに、会見なんて……」

 真理子の声に、専務はギロリと鋭い目線を向けるが、すぐに真理子から目を逸らすと、近くに立っていた男性社員に声をかけた。

「君。外にいるマスコミの方にもそう伝えてくれたまえ。近日中に、必ず会見を開くとね」
「は、はい……」

 男性社員は小さく答えると、フロアを駆けだしていく。

「専務」

 成瀬が真理子の肩を引き、専務の前へと歩み出た。

「社長の判断を待つべきです。実際、情報が漏洩したかもわかっていない」

 成瀬の声に、専務は「ハハハ」と声を上げると、橋本と顔を見合わせて笑い出した。

「成瀬くん。何を寝ぼけたことを言っとるんだ。ここまで大事(おおごと)になっているんだよ? 事実は別として、社長の責任は重いだろう?」

 専務の瞳の奥が鈍く光っている。

「つまり……」

 成瀬は静かに専務の顔を睨みつけた。

「つまり、会見で社長に責任を取らせるつもりだ、という事ですね?」

 成瀬の言葉に、専務は何も答えずに鼻で笑っている。

「そんな……」

 思わず真理子の口から声が漏れた。

 ――これじゃあ、事実はうやむやのまま、社長だけが辞めさせられる……。

 その時、両手を握りしめてうつむく真理子の目線の端に、動く人影が映った。

「わかりました。では、会見を開きましょう」

 フロアに響き渡る鋭い声に、みんなの視線が一気に集中する。

「社長……」

 いつの間にか戻って来ていた社長は、一言だけそう告げると、成瀬に目配せしてフロアを後にした。
 真理子は成瀬に肩を叩かれ、一緒に社長の後を追いかける。
 後ろでは、専務の嘲笑(あざわら)う声が漏れ聞こえていた。

 真理子は扉の前まで来た時、そっと足を止めてフロアの奥の、システム部の席に目をやった。
 卓也はこの騒動のさなか、一人じっと画面を見つめている。

 ――やっぱり、卓也くんの様子がおかしい……。

 真理子は胸騒ぎを抑えつけるように、ぎゅっと両手を握る。

「どうした?」

 廊下に出ていた成瀬が真理子を振り返った。

「いえ……」

 真理子はそれだけ答えると、成瀬と共にエレベーターに飛び乗った。
 個室の中で成瀬は壁に肘をつくと、大きく息を吐きながら眉間に手を当てる。

「今回の騒動に、専務と橋本が関わっているのは確かだろうな……」
「専務たちが騒ぎを起こすために、わざと新聞社のホームページや掲示板に、書き込みをしたってことですか?」

 真理子は不安げな表情で、成瀬を見上げる。

「それだけならまだいい……。まずいのは、実際に個人情報を持ち出していた場合だ」
「でもそんな事をしたら、専務の立場だって危ういんじゃないですか?」

 成瀬は静かに顔を上げると、真理子を見つめる。

「よほど自信があるのかもな。バレないという自信。そうなると、証拠集めはかなり困難になる……」

 成瀬の声を聞きながら、真理子はそっと床に目線を落とす。

 ――もし、本当に卓也くんがデータを持ち出していたとしたら……。それは完全に犯罪だ……。

 ポンという音が鳴り、エレベーターは目的の階に到着した。
 真理子は不安を抱えたまま、社長室に向かった。
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