成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】

新しい環境

「あの子、社長狙いだったんだぁ」
「ほんと、ある意味すごいよね……」

 秘書課の奥の席から、ひそひそと話をする声が聞こえる。

「でもまぁ。秘書っていうより、家政婦要員なんじゃない?」

 あははと笑う声を背に、真理子はホワイトボードの自分の名前の横に“社長室”というプレートをかけた。

 真理子が社長秘書になってしばらく経つ。
 デスクは秘書課とは別室にあり、社長室に隣接した社長秘書専用の部屋だった。

 業務は、第一秘書の小宮山(こみやま)という男性と一緒に当たっている。
 社長は社外に出ることが多く、そのほとんどは小宮山が同行。
 真理子の仕事は、スケジュール管理や資料作成などのデスクワークが主だ。

 真理子は探していた資料を手に取ると、女性社員たちの会話は聞こえないふりをして、秘書課の扉をそっと閉じた。

 真理子は社長秘書になってからというもの、慣れない仕事に追われ、バタバタと毎日をすごしている。
 成瀬の姿も社内では、ほとんど見かけていない。
 そしてあの日以降、真理子の気持ちへ扉を閉ざすように、成瀬が家政婦としてマンションに来ることはなくなった。

「別に、わかってたことじゃない……。今更傷ついたって、しょうがない」

 真理子は、社長室へと続く絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、ぽつりと声を出す。

「最初から、私には敵わなかったんだもん。ただそれだけのことだよ……」

 真理子は社長室の扉を押し開けると、資料を社長のデスクの上に置いた。
 今日の社長は、私用でどこかに寄ってから出社すると聞いている。
 真理子は一旦ブラインドを上げると、朝日が差し込む中で日課となっている清掃を始めた。
 他のフロアには清掃業者が入っているが、社長室の清掃だけは、もうずっと秘書の仕事だそうだ。

 真理子がデスク周りを整理していると、ふと脇に置いてある写真たてが目に入った。
 それは夏祭りの日の乃菜の写真。
 浴衣姿の乃菜の頭には、あの王冠のおもちゃがちょこんと乗っている。
 真理子は写真たてを覗き込むと、ふふっと思い出し笑いを浮かべた。

 最近の乃菜は、真理子が家政婦に行くと、終始真理子にべったりだ。
 そんな乃菜の様子に、社長はいつも口をとがらせる。

「おいおい、乃菜。パパの所にも来てよ」
「いや! まりこちゃんが、いいの!」
「パパも、たまには真理子ちゃんの隣に行きたいなぁ」
「だーめ! パパはワインでも、のんでなさい」

 最近特に大人びた発言をするようになった乃菜の姿に、真理子は社長と一緒に目を丸くしては大笑いをした。
 そしてその度に、真理子の心は救われていくようだった。

 今だったらわかる。
 成瀬が『明彦と乃菜の事を一番近くで、支えてやってくれないか』と言った言葉の意味が。
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