猫は、その恋に奇跡を全振りしたい
「やめろ、麻人!」

それを遮るように、鋭い声が聞こえてきた。
振り返ると、息を切らした鹿下くんが思いっきり顔をしかめていた。

「もう一度、言うからな」

息を呑む気配が伝わるほどの沈黙の後、鹿下くんが重々しく口を開いた。

「これ以上、安東の意志や感情に囚われるなって言っただろ!」

前にも聞いた言葉。
だけど、渚くんは何かを決意したように、まっすぐに鹿下くんと向き合った。

「克也、ごめん。俺は、冬華には幸せになってほしい」

渚くんは微笑む。
景色ではなく、わたしだけを見つめて。

「それに……ここから離れたくない。ずっとこのままでいたい」
「ふざけんな! ここに来た目的、履き違えるなよ! 安東の未練を晴らすために、ここに来たんだろ!」

また、そうやって拒絶されることは予想していた。
わたしは瞳に涙を浮かべて、噛みつくように叫ぶ。

「やめてよ! そんなこと言わないでよ! わたしは……わたしたちはこの瞬間のために、今までずっと、夢を見続けてきたのに!」

鹿下くんの言葉に、わたしは真っ向から食ってかかった。
その行為が予想外だったのか、鹿下くんは一瞬、ぽかんとする。
だけど、すぐに表情を歪めて告げた。

「桐谷、もうやめろ。このままじゃ、お互い苦しいだけだ」

鹿下くんは一拍置いて、険しい顔で続ける。

「あいつは麻人だ。安東じゃない。桐谷が見ている安東は幻想だよ」
「……違う」
「いや、違わない。あいつは安東じゃない。安東のクロム憑きになった麻人だ!」
「――っ」

鹿下くんの剣幕に、わたしは思わず、言葉を詰まらせる。
鹿下くんは、渚くんのクロム憑きになった今井くんが、渚くんとして生きているのが気にくわない。
だから、どうにかして、今井くんを元に戻したい心持ちなのだろう。
それでも……。

「……違う!」

わたしは譲れなかった。
きっかけはどうあれ、そこから先、気持ちが育ったのは彼が『わたしの知っている渚くん』と同じだったからだ。

「鹿下くんは幻想だって言うけれど、わたしが知ってる今の渚くんも、わたしにとっては本物だよ」

気持ちを紐つくように、その理由に思い当たる。

……そうだ。
重要なのは事実ではない。
この感情だけだ。
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