魔術罠師と猛犬娘/~と犬魔法ete
2
「ルパ姉」

 洞窟の壁に仮組みした布壁、この洞窟には姉弟の二人しかいない。
 ルパは弟の声の調子で「怒られたり説教されるな」と勘づいた。今回は狩りで無理をして、挙げ句に山賊に捕まって、危うく永遠に帰れなくなるところだった。弟として言いたいこともあるだろう。
 こんな暗がりでも、レトの黒髪はなんとなく見分けられる。視力だけでなく慣れもあるはずだ。
 犬鳴レトリバリクスはドロップイヤー(垂れ耳)で、それが命名の由来でもある。名前通りに温和で賢い。活動的で気が強い姉ルパとは性格の違いはあったが、やはり心配したり思いやったり気にはかけている。

「川の向こうに行ったでしょ? 川を越えたらあとから臭いで追えなくなるから安全のために、こっち側でちょっと獲物を探すだけって」

「いやさ、鹿を見つけて泳いで逃げようとするからつい追い掛けて。えっと、あたしが川を渡ったことなんか話したっけ?」

 わざわざ怒られそうなことを自分でベラベラ白状して喋ったのかとルパはいぶかしむ。記憶になく、ただ狩りの途中で捕まったとしか言っていないはずだった。
 レトはため息した。

「あんまり帰りが遅いから、二日目に臭いで辿って探しに行った。反対側に渡っても、臭いがきれていてどこ行ったかわからないし! まさか山賊に連れてかれてたとか、もしあの人が助けてくれなかったらどうする気だった?」

「ごめん」

 姉弟はしばらく無言で、弟は目を逸らさず姉は目を伏せた。この年下のはずの弟は横着でアバウトな姉より几帳面で真面目なところがあり、よくある「ズボラな兄貴に対する世話焼きな妹」みたいな面がある。
 そして、ルパには意外な質問。

「あの人のこと、好きになった?」

「わかる? ほんのちょっとだけ。キスしただけで、それ以上のことはしてないけど。あたしは良かったけど、トラが急いでるから後にしようって」

 ここへの帰り道でキスだけしたが、トラは「急ぐし無用心だから」と切り上げた。ひょっとしたら男性経験がほとんどゼロだなどと洩らしたので気を遣ったり慎重になったのかもしれないが。

「そうなん? そんなところかとは思ったけど、雰囲気がなんとなく。さかってる臭いが」

「は? 「さかってる」とかゆうの? アンタがそんな言葉使う?」

 目を白黒させて、面食らって赤面するルパ。彼女からすれば、さまでバレバレで目立って見切られているとまでは思ってなかっただろう。
 ルパは姉弟の特権で、レトのほっぺを両手で左右に引っ張った。

「だってその通りだし」

 普段の様子を見慣れているレトにとっては姉が珍しく女の発情臭を放っていることやら、変わった態度と目つきでまるわかりなのだった。「自分は良かったけど」などと言うことからしてルパ姉には珍しい。彼にとっては姉が「誇り高き牝狼」が「デレた牝犬」のようになっていることが、まず第一に素直に驚きではあった。
 そして、無論のことあのトラという青年のことも気にはなる。姉の話を聞いたり振る舞いからすれば、そんなに悪い人間でこそなさげではあったが、いささか警戒と興味。

「あの人って、反魔族レジスタンスの屯田兵村の人なんですよね?」

 ルパは弟のドロップイヤー(垂れ耳)を手で玩びつつ、質問に答えてつらつらと語る。この耳。一枚に見えて、実は耳たぶがある独特の形状をしていて、危機から生還したルパには安堵と心の癒やしだったりする。

「うん。あのクリュエルと魔術学院で一緒だったらしくって。ボンデホン(要塞都市)の軍と付き合って作ったクリュエルのグループの屯田兵村。学院で後輩だったらしいんだけど、昔はよく資料や古文書がある書庫で顔を合わせたりしてたんだとか」

 それでレトはなんとなく合点がいった。
 魔術学院の書庫は所得者・関係者が好きに出入りしたり利用できる知識の宝庫だと小耳に挟んでいる(小さな教会の図書室どころか、司教座の付属図書館に匹敵する)。当時から研究や勉強熱心な人間であれば、以後・現在も自分たちで書物や資料を集めて日常的に触れていてもおかしくない。
 あの紙とインクのかすかな臭いと風味はそういうことなのだろう。だが、血と暴力の香りがするのも事実。良心が欠如しているのでなく、有益や必要でこそあれ。頼りになりそうではあっても、すぐに簡単に鵜呑みで信頼して良いものか?
 自分たちの命運もだが、姉のことでもあるだけに、弟の犬鳴レトリバリクスは小首を傾げた。
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