あの桜の木の下で
そうちゃんが大阪へ降った後、色々な事があった。負け戦続きの戦いの中、江戸へ行くことになりそうちゃんは千駄ヶ谷のとある植木屋で匿われることになった。
そして、千駄ヶ谷の植木屋――
庭の向こうでは、春の風が枝を揺らし、桜の花びらが舞っていた。
だが、その景色を今のそうちゃんは見ることができない。
部屋の中は静まり返っていた。聞こえるのは、布団に横たわる彼女の浅い呼吸と、時折漏れるかすれた咳だけだった。
俺は、ただ彼女の傍に座り、その手を握ることしかできなかった。
「……春樹。」
弱々しい声に、俺は顔を上げる。
「……ここにいるよ。」
そう答えるのが精一杯だった。
そうちゃんは、薄く微笑んだ。いつものように、どこか子供っぽくて、人懐っこい笑顔。だけど、その顔は今まで見たどの笑顔よりも儚く、今にも消えてしまいそうだった。
「ねえ……桜、もう咲いてる?」
「……ああ、咲いてる。」
俺は少し嘘をついた。
京の桜はすでに満開を過ぎ、葉桜へと移り変わろうとしていた。けれど、彼女にそんなことを伝えたくなかった。
「見に行きたいな……。」
そうちゃんの瞳が、ふと遠くを見つめる。
「毎年、近藤さんや土方さんと一緒に、桜を見てたよね……。」
俺は何も言えなかった。ただ、握った手に少しだけ力を込める。
「……綺麗、だろうな。」
「……ああ。」
俺は震える手で、そっと彼女の手を握った。
冷たい。まるで、少しずつこの世界から離れていくような感触。
「……もうすぐだな。」そうちゃんはぽつりと呟いた。「私……、ちゃんとやれたかな……?」
「やれたよ。」
俺は力強く答えた。
「そうちゃんは、新選組として、最後まで戦い抜いた。」
「そっか……よかった……。」
そうちゃんの目尻に、一筋の涙が滲んだ。
「……春樹。」
「……ん?」
「私がいなくなったら、泣かない?」
「……泣かねえよ。」
そう言いながら、俺はもう涙を堪えきれなかった。
「……馬鹿。」そうちゃんは微笑んだ。「嘘つき。」
その声が、どこまでも優しくて、どこまでも遠かった。
彼女の呼吸が、浅く、途切れがちになっていく。
「……春樹、ありがと……。」
最後の力を振り絞るように、そうちゃんは俺の手を握り返した。
けれど、その力は、すぐにふっと抜ける。
「……そう、ちゃん?」
返事は、なかった。
そうちゃんの唇から、最後の吐息が漏れる。
静寂が降りた。
外では、桜の花びらが、風に乗って舞っていた。
俺はただ、彼女の冷たくなった手を握りしめ、声を殺して泣いた。
そうちゃんが息を引き取った後も、俺は彼女の手を離すことができなかった。
冷たい。だけど、さっきまで確かにここにいた温もりが、まだ指先に残っている気がした。
ふと、彼女の顔を見る。
穏やかな表情だった。苦しみから解放され、ようやく安らげたような――そんな顔だった。
「……馬鹿野郎。」
俺は、唇を噛みしめた。
何も守れなかった。何もできなかった。
俺たちはずっと戦い続けてきたのに、最後の最後で、俺は何もできなかった。
外では、風に乗って桜の花びらが舞い込んでくる。
「……桜、見たかったよな。」
そうちゃんが最後に言っていた言葉を思い出す。
俺はそっと、彼女の髪に落ちた桜の花びらを払った。
◇
それから数日後、俺はそうちゃんを静かに弔った。
仲間たちは散り散りになり、誰も見送ることはできなかったが、それでも俺だけは傍にいると決めていた。
墓標の代わりに、小さな桜の枝を添える。
「また、来るよ。」
そう呟いて、俺はゆっくりと背を向けた。
戦いは、まだ終わらない。
俺は前に進まなければならない。
それでも、時折振り返りながら、俺は歩き続けた。
遠く、風に乗って桜の花が舞っていた。
それが、そうちゃんの微笑みのように見えた。
そして、千駄ヶ谷の植木屋――
庭の向こうでは、春の風が枝を揺らし、桜の花びらが舞っていた。
だが、その景色を今のそうちゃんは見ることができない。
部屋の中は静まり返っていた。聞こえるのは、布団に横たわる彼女の浅い呼吸と、時折漏れるかすれた咳だけだった。
俺は、ただ彼女の傍に座り、その手を握ることしかできなかった。
「……春樹。」
弱々しい声に、俺は顔を上げる。
「……ここにいるよ。」
そう答えるのが精一杯だった。
そうちゃんは、薄く微笑んだ。いつものように、どこか子供っぽくて、人懐っこい笑顔。だけど、その顔は今まで見たどの笑顔よりも儚く、今にも消えてしまいそうだった。
「ねえ……桜、もう咲いてる?」
「……ああ、咲いてる。」
俺は少し嘘をついた。
京の桜はすでに満開を過ぎ、葉桜へと移り変わろうとしていた。けれど、彼女にそんなことを伝えたくなかった。
「見に行きたいな……。」
そうちゃんの瞳が、ふと遠くを見つめる。
「毎年、近藤さんや土方さんと一緒に、桜を見てたよね……。」
俺は何も言えなかった。ただ、握った手に少しだけ力を込める。
「……綺麗、だろうな。」
「……ああ。」
俺は震える手で、そっと彼女の手を握った。
冷たい。まるで、少しずつこの世界から離れていくような感触。
「……もうすぐだな。」そうちゃんはぽつりと呟いた。「私……、ちゃんとやれたかな……?」
「やれたよ。」
俺は力強く答えた。
「そうちゃんは、新選組として、最後まで戦い抜いた。」
「そっか……よかった……。」
そうちゃんの目尻に、一筋の涙が滲んだ。
「……春樹。」
「……ん?」
「私がいなくなったら、泣かない?」
「……泣かねえよ。」
そう言いながら、俺はもう涙を堪えきれなかった。
「……馬鹿。」そうちゃんは微笑んだ。「嘘つき。」
その声が、どこまでも優しくて、どこまでも遠かった。
彼女の呼吸が、浅く、途切れがちになっていく。
「……春樹、ありがと……。」
最後の力を振り絞るように、そうちゃんは俺の手を握り返した。
けれど、その力は、すぐにふっと抜ける。
「……そう、ちゃん?」
返事は、なかった。
そうちゃんの唇から、最後の吐息が漏れる。
静寂が降りた。
外では、桜の花びらが、風に乗って舞っていた。
俺はただ、彼女の冷たくなった手を握りしめ、声を殺して泣いた。
そうちゃんが息を引き取った後も、俺は彼女の手を離すことができなかった。
冷たい。だけど、さっきまで確かにここにいた温もりが、まだ指先に残っている気がした。
ふと、彼女の顔を見る。
穏やかな表情だった。苦しみから解放され、ようやく安らげたような――そんな顔だった。
「……馬鹿野郎。」
俺は、唇を噛みしめた。
何も守れなかった。何もできなかった。
俺たちはずっと戦い続けてきたのに、最後の最後で、俺は何もできなかった。
外では、風に乗って桜の花びらが舞い込んでくる。
「……桜、見たかったよな。」
そうちゃんが最後に言っていた言葉を思い出す。
俺はそっと、彼女の髪に落ちた桜の花びらを払った。
◇
それから数日後、俺はそうちゃんを静かに弔った。
仲間たちは散り散りになり、誰も見送ることはできなかったが、それでも俺だけは傍にいると決めていた。
墓標の代わりに、小さな桜の枝を添える。
「また、来るよ。」
そう呟いて、俺はゆっくりと背を向けた。
戦いは、まだ終わらない。
俺は前に進まなければならない。
それでも、時折振り返りながら、俺は歩き続けた。
遠く、風に乗って桜の花が舞っていた。
それが、そうちゃんの微笑みのように見えた。