推しが近所に住むなんて聞いてません!
あれから一週間はバーへ通うことはなかった。仕事が残業続きで、忙しかった。バーへ通う体力など残っていなかったのだ。大きなプロジェクトがひと段落し、バーへ行けたのはあの日から9日後だった。「今日は飲むぞー!」と心の中で意気込み「こんばんは」とドアを開ける。
「あ..!」と目があったバーの店主が、こちらへ駆け寄る。なんだなんだ、と目を見開くが、こちらが声を出すまでに、「歩夢!ついにいらっしゃったぞ。」とカウンターの隅でお酒を飲む男性に声をかける。男性というよりは少年といった風貌だった。お酒は全く似合わない。

ふと我にかえる。今、「歩夢」と言った…?
そんなことを考えると、隅から少年が駆け寄る。あの時と同じ、帽子にサングラス。バーは他に客はいないのに、それらを外さないなんて、芸能人くらいだ。
私を前にすると、帽子とサングラスを外す。オレンジ色のライトに照らされ、端正に整った顔がキラキラと輝いて見えた。
「あの、この前はありがとうございました!」
そういうと彼は深々とお辞儀をする。

「え、あの..」と返事に困っていると、

「猫被んなくていいんじゃないか?彼女はファンじゃないんだから。」
バーの店主がすぐにそう呟く。
「え、だってそんなのわかんないじゃん」と猫屋くん。そのトーンはさっきのキラキラな言い方とはちょっと違った。なんだかめんどくさそうだ。
「ファンじゃないでしょ。だってこの前救急車に乗れたのに、乗らなかったんだから」
とマスター。彼らの掛け合いが続く時に状況を整理した。

ああ、もしかして私は猫屋くんのファンでないと思われている..?
すぐに訂正しようとしたが、

「まあいいや。アンタ、ファンじゃないんでしょ?そっちのがありがたいや。ファンとはこんな近くで話したくないからさ。ファンは大事だけど、プライベートとは切り離したいってわけ。てかさ、来るの遅くない?ひろ兄には週3で来るって聞いてたからさ、忙しいのにせっかく待ってたんだけど。」

「...ファンなんかじゃありません。ていうか誰なんですか?」

言ってしまった。思わず、知らないふりをしてしまった。というかめっちゃ無愛想じゃない私?
とも想ったが、ここには二つの意図があったのだと思う。
一つは、猫屋くんの裏の顔にムカついたこと。なんで助けたのに、こんな上から目線なのか。ファンとは決して言いたくなかった。もう一つは、その反面、特別な関係を築きたいと想ってしまった。だって推しが目の前にいるのだ。いくら一線を引いているとは言っても、こんな状況になれば、つい近づきたくなってしまう。「俺を知らないなんておもしれー女」と思われたくなってしまう。こうなってしまった以上ボロが出ないように気をつけよう。
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