恋するわたしはただいま若様護衛中!


 車を降りると、目の前には近代的なデザインの大きな建物が立っていた。
 いつ見ても迫力のある街一番の公会堂。
 講演会や発表会など色々な目的で利用されていて、地元民は誰もが知っている。
 メインの大ホールは、広いステージに一階席と二階席がある。
 他にも多目的ルームや小規模なイベントも開催される場所。

「紅葉ちゃん、こっちよ〜」
「あ、はい!」

 伊吹のお母さんの後をついて、エントランスホールに到着した。
 思っていたより混雑していない。むしろ係の人しかいなくて静かすぎる。
 入場者の目につく場所に置かれていた掲示板スタンドに気がついて、よく見てみる。
 そこには“二之宮春鳳・書道講演会”と書かれていて、一気に緊張が走った。

「え! 伊吹のお父さんのイベントなんですか⁉︎」
「そうなのよ〜! しかも私が家出るの遅くなったせいで、もう開始時間過ぎてるの〜」

 ニコニコする伊吹のお母さんは、どうやら遅刻している途中で私を拾ったらしい。
 書道イベントと説明されていたから、てっきり子供向けの体験型イベントを想像していた。
 伊吹のお父さんは有名人。そんな偉大な人のイベントとなると、参加者は大人ばかりのはず。

「……すみません、緊張でお腹が痛くなってきました……」
「そんな畏まらないでね! 関係者としてステージ袖から見守るだけだからリラックスして〜!」

 それはそれでますます緊張してしまうことを、伊吹のお母さんは知らない。
 有名書道家・二之宮春鳳さんのイベントの参加と、その裏側を見られるのは光栄なこと。
 私はお腹を押さえつつも、失礼のないようにと気を引き締める。


 
 関係者専用の通路を通り、ステージ袖までやってきた。
 ステージには照明が当たっているけれど、観客席側は暗くてよく見えない。
 それでも空席が見当たらないことはわかった。
 大きな会場が満員?とますます春鳳さんの凄さを感じる。
 ステージ上で、マイクを持ち観客席側にトークをする着物姿の男性。
 私は初めて、伊吹のお父さんである“二之宮春鳳”を生で見た。
 さらには春鳳さんの陰になっていて気づくのが遅くなったけれど、見覚えのある人物がステージ上に立っていた。
 伊吹だった。それも白の着物に黒の袴姿。袖が邪魔にならないように白紐でたすき掛けをしている。
 夏祭りの時の浴衣姿もかっこよかったし、袴姿もかっこいい!
 私が惚れ惚れしていると、伊吹のお母さんがそっと声をかけてきた。

「レアでしょ?」
「え! そ、そうですね……」
「急遽、伊吹がお手伝いすることになってね〜」

 するとステージ上の春鳳さんも、同じような説明をはじめた。

「私の長男が助手として参加する予定でしたが、体調を崩してしまいまして。なので本日は急遽、次男を連れてまいりました」

 伊吹が一歩前に出ると、観客席に向かって一礼する。一斉に拍手が沸いた。
 真っ直ぐな背筋とキリッとした横顔に、同級生とは思えない存在感が伝わった。
 私がステージの袖にいるなんて考えもつかないだろうな。
 集中しているのか、緊張しているのか。伊吹は脇見もせずに照明を浴びていて、遠い存在に見えてきた。

「お待たせいたしました。それでは書道パフォーマンスについて、まずは次男に実践してもらいます。観客席の皆様はステージ上のスクリーン映像をご覧ください」

 春鳳さんが説明すると、伊吹がすっとステージの壁沿いに立つ。
 手前にはブルーシートいっぱいに敷かれた白い紙と、墨汁が入った大きなすずり。
 そしてホウキのような特大の筆が用意されていた。
 伊吹が裸足になると、紙を見つめながら真剣な表情をする。
 その様子が、スクリーンに映し出されていた。

「書道パフォーマンスというのはね、体全部を使って大きな文字を表現するの」
「それを今から、伊吹が書くんですか?」
「そうよ〜、腕の見せ所ね」

 伊吹のお母さんからも、どこかワクワクしている様子が伝わってくる。
 私も緊張しながら、伊吹が無事成功することを願った。
 すると何の漢字を書くか決まった様子の伊吹が、特大の筆を手にする。
 筆先にひたりと墨を浸して、パフォーマンスを開始した。
 春鳳さんと伊吹のお母さん、観客席の全員が伊吹に釘付けだった。
 もちろん、その中には伊吹に片想い中の私も含まれている。

「終わりました」

 筆を置いた伊吹が春鳳さんに伝えると、観客席から拍手が沸き起こる。
 完成したのは、“(りょう)”という文字だった。
 今年の夏も暑いから、少しでも涼んでもらいたいという伊吹の願いが込められているようだった。
 そんな伊吹を讃えて、私も大きな拍手を送っていた。
 その時、どこからかギギっという微かな異音が耳に届く。


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