恋するわたしはただいま若様護衛中!
第一章 若様を護衛中


 永い歴史ある中高一貫校の、藤黄(とうおう)学園。
 生徒ひとりひとりの個性と才能を尊重した、教育理念を掲げている。
 そのため、裕福な家庭の生徒もいれば、一般家庭の生徒もたくさん在籍している。
 由緒正しい学園の中学二年生となった私は、何に秀でているかというと……。

「よーい……」

 春のグラウンドに響いた先生の声の直後、ピッという笛の音が鳴った。
 同時に地面を蹴った私は、スタート地点から一緒に駆け出した同級生四人を置いて、一番にゴールする。

「……絶好調っ」

 今日の体育の授業は、短距離走のタイム計測。
 一番得意な種目だけど、運動神経の才能に恵まれた私は運動だったらなんでも得意。
 その代わりに勉強はイマイチだけど、赤点だけはギリギリ回避していた。
 体操着の胸元をつまんで、パタパタと汗を乾かす。

「やっぱ紅葉、足速くて敵わないわ〜」
「沙知も去年より速くなったんじゃない?」

 一緒にスタートした川原(かわはら)沙知(さち)が、息を切らしながら私の元にやってきた。
 チョコブラウンのショートボブが、走るたびにふわっと跳ねる、姉御肌な女の子。

「必死に紅葉を追うから、自然と速くなったのかも」
「私のおかげ?」
「調子乗るなっ」
「えへへ」

 私が笑うと、沙知もにこりと笑顔で応えてくれる。
 沙知とは一年生の時に同じクラスになって以降、ずっと仲良しの親友。お互いの性格や癖なんかもよく知っている。
 気心知れた友達がいるおかげで、毎日の学校生活が楽しい。
 それともうひとつ、私には密かな楽しみがあった。

「きゃー! 伊吹(いぶき)くーん!」

 短距離走のタイム計測を終えた女子たちが、黄色い声援を上げている。
 私と沙知も、女子たちの視線の先に目を向けた。
 同じグラウンドの真ん中あたりで、走り高跳びの計測中の男子たちがいた。
 設定された高跳びのバーは、中学生の平均記録より高いように見える。
 それに挑もうとしている二之宮(にのみや)伊吹(いぶき)が、すっと立ち上がった。

「なるほど、伊吹の番だからみんな騒いでたのね〜」

 沙知が腕を組んで納得していた。その隣で、私もおとなしく同調する。

「みたいだね」
「紅葉ももっと積極的に応援できたらいいのにね」
「なっ、は、恥ずかしくてできないよ!」

 ニヤニヤして見てくる沙知に、私は慌てて首を振った。
 けれど、私も時々同じことを思う。
 もっと自分に自信があったら、恥ずかしがらずに伊吹の名前を呼んで応援したり、話しかけたりできたのかなって。
 入学式の日、初めて見た時から目で追う存在になっていた、二之宮伊吹。
 一年生の頃は違うクラスだったから、何の接点もなくて話す機会さえなかった。
 その反動で、登下校中や廊下ですれ違う時に見かけるたび、想いが膨らんでいった。
 二年生になって、念願の同じクラスになれて心の中でガッツポーズをする。
 だけど好きな人の前では緊張して積極的になれない私は、いまだに遠くから見守るだけ。

「あ、伊吹が走り出したよ」
「っ!」

 沙知の声に私がハッと顔をあげる。助走をつけた伊吹が地面を思い切り蹴って、高く飛んだ。
 美しい背面跳びは、バーを軽々と超える。伊吹がマットに着地したと同時に、女子たちの歓声が「きゃー!」と響いた。
 起き上がった伊吹は、その声援に照れながらも笑顔で応える。
 クラスの男子たちは伊吹に駆け寄り、賞賛している様子に見えた。こちらの女子たちは、みんな頬を赤くして瞳をハートにする。
 一部始終を一緒に見ていた沙知が、感心したように話しはじめた。

「さすが伊吹だね。勉強だけじゃなくて運動神経も抜群。極め付けは超有名な書道家の御曹司って……天才か」
「神が三物を与えてしまったんだね〜」

 私が羨ましそうに答えると、沙知がずいっと顔を近づけてきた。

「いやいや四物だよ! あのイケメン顔だよ? さすが“籐黄の若様”だわ」

 籐黄学園の中等部で、それほど優秀な生徒は伊吹ただ一人。
 いつの間にか女子の間で“若様”と密かに呼ばれるようになった伊吹と私では、住む世界が違いすぎる。
 だからこうして、遠くから眺めているだけにとどめているんだ。

「紅葉も可愛いんだから、自信持ちなよ」
「えっ! そんなことない、私なんて平凡な人間で」
「まーたそうやって! 自分のこと卑下しないの!」

 むーっと膨れ顔をした沙知が、私の頬を優しくつねる。
 恋に奥手な私を、いつもこうして励ましてくれる沙知の存在は大きかった。


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