恋するわたしはただいま若様護衛中!
体育の授業を終えて、生徒たちが教室に戻っていく。
私と沙知がグラウンドを出ようとした時、伊吹を含める男子たちがわらわらと追いついてきた。
そこで私は、伊吹に声をかられる。
「紅葉」
「っ、え、な、なに……⁉︎」
王子様のような笑みを浮かべる伊吹を前にして、一気に緊張が走る。
他の男子たちは「先に戻ってる」と伊吹に声をかけて、立ち去っていった。
「紅葉は足速いんだね。すごくかっこよかったよ」
「へ……あ、ありがと……」
伊吹にかっこいいって言われた……!
恥ずかしくなって、小さな声でお礼を伝えるけれど顔は地面を向いてしまう。
私は毎回、伊吹に声をかけられてもうまく話せない。
話題を膨らませたり、楽しい雰囲気にすることもできない。
感じが悪いと思われても仕方がない対応の連続だった。
そんな不安を抱く私に、伊吹は変わらず優しい声で話しはじめる。
「俺の高跳びは見てくれた? 自己ベスト更新したんだけど」
もしかして、沙知と見てたのバレた? 恥ずかしい……!
自分の恋心が伊吹にバレてしまったら、もう学校に来られない。
そんな危機感から小さく首を振った私は、こうやっていつも自分にも伊吹にも嘘をつく。
「……そっか、残念だな〜」
「っ……?」
顔を上げると、伊吹は言葉のとおり残念そうに微笑んでいた。
だけど私には、どうして残念なのかがわからなくて、かける言葉が見つからない。
その時、目が開けられないほどの強く鋭い風が、びゅっと吹いた。
「わっ」
その場にいたみんなが飛ばされないように踏ん張る中、尖った木の枝が伊吹の背後目掛けて勢いよく飛んできた。
危ない!
私の中の、とある血が騒ぐ。
そうして瞬時に伊吹の背後に移動した私は、その木の枝を素手で払い退けた。
真っ二つに分かれた木の枝が地面に落ちる頃、私は元の場所に戻る。
人間の目で追うのは難しいほどの速さで、伊吹を危機から守った。
「っ……あれ?」
突風がおさまり伊吹が目を開けた。足元に落ちていた二本の木の枝に気づいて、周囲をキョロキョロとする。
どこから飛んできたのか、直撃しなかったのかと疑問に思っている様子だった。
私は何事もなかったように、「風強かったね」と沙知に声をかける。
けれど、なんとなく察しがついた表情の沙知が、私をじっと見つめてきた。
やっぱり沙知にはバレている……。
友達になって間もない頃に、沙知には説明済みだった。
伊吹に降りかかるさまざまな危険や危機から、この私が身を挺して防いでいることを。
好きな人との会話もままならない私が、好きな人を陰から護衛していることを。
「紅葉と沙知は大丈夫だった?」
「う、うん」
「良かった、何ともなくて」
安心した表情をする伊吹に、私の心臓がトクンと鳴った。
整った顔だけじゃない。優しくて頼もしい人柄の伊吹だから、女子にも男子にも人気がある。
同じクラスにでもならないと、私なんて会話もできないのに、伊吹は気にかけてくれる。
そんなところにますます惹かれていると、ひとつの足音が近づいてきた。
「伊吹くん、一緒に教室戻ろうよ」
「あ、雛菊」
伊吹が親しげに名前を呼ぶと、雛菊さんは柔らかな笑みを浮かべた。
白く透き通った肌に、クリッと愛らしい目元と柔らかそうな唇。
腰元まで伸びた緩やかウェーブの黒髪は、体育の授業の時だけ一つに結っている。
同じクラスの華山雛菊さんは、中等部のマドンナ的存在だ。
社長令嬢でもある彼女は、言葉遣いも仕草も常に上品で丁寧。
そんな雛菊さんに女子は憧れを抱き、男子は淡い恋心を抱いている人も多い。
きっと伊吹も、雛菊さんに声をかけられて悪い気はしていないはず。
そう思った私は、沙知の腕をとって引き寄せた。
「沙知、私たちも教室戻ろう」
「え? あー、うん」
みんなで仲良く教室に戻ればいいのに、私は沙知だけを連れ去って昇降口まで走った。
沙知は色々察してくれたようで、私に同調する。
「あ、もみじっ……」
私の名前を呼ぶ伊吹の声は聞こえていたけれど、聞こえないふりをした。
背を向けてからは、伊吹がどんな顔をしていたかはわからない。
でも、雛菊さんは“伊吹”だけを誘ったんだもの。
二人きりになりたかったんだと推測したら、私の足が立ち去る意思を持って動いていた。
運動靴から上靴に履き替えていると、沙知が呆れたように話す。
「そんなことばっかしてたら、雛菊さんに伊吹とられるよ?」
「と、とられるも何も。それは伊吹が決めることだし……それに」
「それに?」
沙知が厳しい眼差しで私の返答を待っている。
確かに、私は伊吹のことが好きだけど、気持ちを伝えたいとかお付き合いしたいとかは思っていない。
そんなことを望めるほどの人間ではないと、はじめからわかっている。
「伊吹と雛菊さん。美男美女でお似合いだもん」
改めて言葉にすると胸が痛むけれど、事実は受け入れるしかない。
そう答えた私を見て、沙知は悲しげに視線を落とした。
そして無言のまま、励ますように私の肩を組んで教室へと向かった。