それは麻薬のような愛だった
夫婦喧嘩の定番とも呼べる言葉を吐き、雫は半回転して踵を返す。
「おい、雫!」
咄嗟に腕を取ると、雫はピタリと止まった。
「待て待て、待ってくれ。これが一体どうしたんだ」
「いっちゃんのスーツのポケットに入ってたんだよ。これ見よがしにね」
雫は振り向かないまま言葉を続ける。
「こういうの匂わせって言うんだって。いっちゃん、結婚したのに相変わらず女の人にモテるんだね」
「匂わせって…」
身に覚えがない、そう続けようとしたがまたも雫が言葉を続ける。
「いっちゃんなら選び放題だもんね。遊びならいいって思ってる?それとも、私みたいな地味な女が妻なんてやっぱり恥ずかしい?」
「なっ…!んなわけ…」
「…いっちゃんの、くそやろー…」
頭を落とし、雫は顔も見せずに泣いていた。咄嗟に伊澄は腕を引く。体に負担がかからないように、できるだけ優しく、壊れ物に触れるように。
「…泣くな、雫」
「……」
「俺はこんなの知らねえ。命かけたっていい。…信じられねえならスマホの中全部見せるし、出退勤の記録も同僚の証言も持ってくる。何でもするから、泣かないでくれ」
「……」
未だ黙り込む雫に、伊澄はどうしたら信じてもらえるのか途方に暮れた。朝からの記憶を辿っても心当たりは無い。
電車やエレベーターの中でたまたま入り込んだだけだとは思うが、雫が泣いている事が大問題だ。
このまま本当に実家にでも帰られたらこの世の終わりだ。確実に孤独と絶望で気が触れる。それ程までに、雫の存在は伊澄にとって重いものだった。