それは麻薬のような愛だった
雫は笑顔を作り、「そういえば」と無理矢理話題を変えた。
「いっちゃんはどうして来たの?来るの嫌がってたのに。それに紬は?」
後ろを見てもチャイルドシートに娘の姿は無い。首を傾げる雫に、伊澄は少しだけ間を置いて答えた。
「紬はうちの親と雫のおばさんがモールに連れて行った。夕食も済ませてくるから久しぶりに夫婦でゆっくりしろだと」
「あ、そうだったんだ」
ありがたいねと言いながら、雫は改めてシートベルトを装着する。カチッという音を確認して体に食い込むベルトを痛くないように軽く直していると、伊澄も同じようにベルトを付けながら言った。
「だから迎えに来た。久しぶりの夫婦の時間だから、少しでも早く二人きりになりたかったんだよ」
「…そっか」
伊澄の言葉にじんわりと心が温まる。
雫とて伊澄を疑っているわけではない。ただ伊澄に愛してもらえるだけの魅力が自分には無いのではと不安になるだけで、こればかりはどうしようも出来ないのだ。
「ありがとう、いっちゃん。嬉しいよ」
素直な気持ちを伝える。伊澄は黙って雫の顔を見ると、無言で前を向き車を発進させた。
「けど突然二人ってなるとどう過ごすか迷っちゃうね。この辺でデートできるのはおっきいモールくらいだし、それだと紬と会っちゃうかもしれないからお母さん達の好意を無駄にしちゃいそう」
とはいえ少し離れた場所まで行くには今からだと時間が足りないし、今のフォーマルな格好では場所を選ばなければ動きづらい。
どうしよっかと改めて伊澄に聞こうと横を向くと、伊澄は前を向いたまま一言だけ言い放った。
「家に帰る」
言葉少ない物言いに、雫は静かに問い返す。
「家って…いっちゃんの家?」
「二人きりになりたいっつったろ」
「……」
どこか不機嫌そうな言い方に、雫は苦い笑みを浮かべる。
どうやら先程の出来事は伊澄の機嫌を酷く損ねてしまったようだ。だが元より伊澄はそれほど外出をしたがるタイプではないし、雫も特に行きたい場所があるわけでもない。
伊澄の実家でテレビでも借りてサブスクの映画でも観るかと考えながら、静かな車内で流れる景色を眺めていた。