歪んだ月が愛しくて2
「立夏!やめろっ!」
―――守りたいんでしょう?
―――もう後悔したくないんでしょう?
「う、さい…」
―――だったら、やられる前に殺らないと。
煩い。
―――……せ。
―――そうすれば誰も傷付かない。
煩いっ。
―――何を躊躇う?だって、お前の手はもう…、
「煩ぇんだよっ!!」
そう叫んだと同時に、頬に鈍い痛みが走った。
頼稀に殴られたと気付いたのは、その後のことだった。
次の瞬間、横からグイッと胸倉を掴まれ引き寄せられる。
「目を醒ませ!赤に飲まれてんじゃねぇ!」
「、」
至近距離で目と目がぶつかり合う。
この時、俺ははっきりと頼稀の存在を認識した。
霧で覆われたような薄暗い脳内が次第に鮮明化していく。
「……ぁ」
おれ、なんでここに…。
何か大切なものがあったはずなのに。
大事な人達が、守りたい人がいたはずなのに。
「お、れ…」
両手には誰のものか分からない返り血。
周囲に充満する鉄臭い血の匂い。
「俺っ、」
また、あの日を繰り返した?
また大切なものを守れなかったの?
「い、やだ…っ」
……嫌だ。
もう、嫌だ。
失いたくなかった。
傷付いて欲しくなかった。
守りたかったはず、なのにっ。
俺は頼稀の腕を振り払い地面に膝を付き、フードを深く被り直して両手で顔を覆う。
それはまるで自分の罪から逃げるように、全ての声をシャットアウトするように殻に閉じ篭る行為だった。
でも頼稀はそれを許してくれなかった。
頼稀は俺の両手首を強引に掴んで態と視線を合わせて来た。
「逃げるな!こっちを見ろ!」
「い、やだ!嫌だ嫌だ嫌だっ!離せ、離せぇえええ!!」
「離すかよ!お前が俺を見るまではな!」
頼稀は断固として俺の手首を離してくれなかった。
そればかりか視線すらも逸させてくれない。
頼稀の瞳に映る俺は情けないくらい怯えた顔をしていた。
逃げられない。逃げちゃいけない。
頼稀の顔が見れない。頼稀から視線を逸らしてはいけない。
相反する感情が俺の中でごちゃ混ぜになっていた。
「お前は誰だ!俺の目の前にいるお前は誰だ!言ってみろ!」
「お、れは…」
『―――化け物!』
「、」
繰り返し植え付けられたその単語に、絶対的な恐怖と圧倒的な狂気が渦巻く。
拭うことの出来ないそれが俺の心を完全に打ちのめそうとしていた。
「ば、け…っ」
ヒュッと、息が詰まる。
「しっかりしろ!お前は化け物なんかじゃねぇだろう!」
バシッと、頼稀の両手が俺の頬を包むように力強く叩く。
「お前は、藤岡立夏だろうがっ!」
「、」
それは少しずつ俺の中にある赤黒い残像を照らし出した。
一度根付いた恐怖はどうしたって消せやしない。
俺の心は今にも軋んでバラバラに崩れそうだ。
それでも繋ぎ止めようと、引き戻そうとする声が“藤岡立夏”を呼び起こした。
「お前は化け物じゃない。誰が何と言おうとお前は白夜叉と呼ばれる族潰しで、俺達のクラスメイトの藤岡立夏だ。クソ野郎の声なんかに惑わされるな」
「おれ、は…」
ギュッと、固く目を瞑る。
落ち着いて呼吸を整えると、徐々に耳鳴りが遠退いて行く。
もう、あの声は聞こえない。
『大丈夫だ』
……もう、大丈夫。
あの人の声が、はっきりと聞こえる。
ゆっくりと目を開けて、目の前の頼稀と視線を合わせる。
「俺は、藤岡立夏…」