歪んだ月が愛しくて2



トントントン。



「……入れ」

「失礼致します」



仮眠室に現れたのは哀さんだった。
突然の哀さんの登場に、俺は文月さんの胸を押し返して距離を取った。
痛そうに胸を押さえる文月さんは恨めしそうな顔をして俺を一睨するが、今は無視しよう。お咎めは後でちゃんと聞きますよ。



「……何でお前がここにいんだよ?仕事はどうした?」

「本日の仕事は既に終わらせて来ました。こちらへは立夏様にこれを届けに参りました」

「俺に、ですか?」



哀さんは手に持っていたトレーを俺の目線の位置まで下げた。
そこには俺の大好物のオムライスが乗っていた。



「立夏様の大好物ですよね」

「あ、哀さんっ!覚えててくれたんですね!」

「沢山召し上がって下さい」

「ありがとうございます!」



俺と哀さんのやり取りを横目に、文月さんは面白くないって顔をする。
そんな視線を無視して、俺は哀さんからオムライスを受け取りベッドから降りてソファーに座った。
寝起きですぐ飯は食えない体質だが、デミグラスソースの良い香りと光り輝く半熟卵が俺の食欲を掻き立てた。



「頂きます」



両手を合わせて、スプーンでオムライスを口一杯に頬張る。



「……美味しい!」



想像以上の食感が口の中に広がった。
ふわふわでトロトロな卵、トマト感の強いデミグラスソースの程良い酸味が卵とマッチした俺好みのオムライスだった。
ここまで俺好みの味に仕上がってると言うことは、間違いなくこれは哀さんの手作り。デミグラスソースの上に線を描くようなフレッシュクリームが掛けられているのが何よりの証拠だ。



「お口に合って良かったです」



哀さんの手料理をご馳走になったのは、これが初めてじゃない。
文月さんの家で世話になっていた時もよく作ってくれたし、俺もそんな哀さんに料理を教わっていたくらいだ。
つまり哀さんの料理の腕はピカイチと言うことだ。



「お前、本当にオムライス好きだよな」

「何?ガキって言いたいわけ?」

「よく分かったな」

「アンタ、今世界中のオムライス好きを敵に回したからな。覚えとけよ」



文月さんは「一々大袈裟なんだよ」と言ってテーブルの上の煙草に手を伸ばす。



甘い匂いが鼻孔を擽る。



これは文月さんの匂い。

相変わらずそれ吸ってんのか。

俺には甘ったるくて胸焼けしそうな匂いだった。



「本当に、良かった…」



不意に哀さんの手がオムライスを頬張る俺の頬に触れる。



「哀さん?」



哀さんはその瞳に俺を映して悲しそうに微笑んだ。
でも哀さんは「良かったです」と繰り返すだけでそれ以上何も言わなかった。



「哀、さん…」



これは慰められているのだろうか。
さっきの文月さんとのやり取りを聞いていたのか、それとも昨日の俺の態度が変だったから態々様子を見に来てくれたのか、どちらにしろ哀さんに心配を掛けたのは明白だった。


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