歪んだ月が愛しくて2



「―――離れろ」



溢れんばかりの怒気が肌に突き刺さる。
本来なら萎縮させるはずのそれが何とも心地良く感じた。



ああ、やっぱり、俺は狂ってる。



「来て欲しく、なかった、のに…っ」



口ではそう言って拒絶しながらも、本心では光を求めていた。



誰でもいい、と思っていた。

暗闇から引き上げてくれるなら、誰でもいいと。



そう思っていた…、はずなのに。



「大丈夫だ」



会長の手が俺に触れた瞬間、薬とはまた異なる作用で身体の力が抜けた。
じわりと胸に込み上げたものは安堵だろうか、喉元まで詰まり溢れそうになった温かな感覚に言葉を飲み込んだ。

どうして覇王がここにいるのか、どうして保健室に行くと言って出て来た俺の居場所が正確に分かったのか。
理由は涙でぐちゃぐちゃな顔をしている白樺しか思い付かなかったが、朦朧とした頭ではまともに考察することが出来なかった。



ふわりと、身体が浮上する。
そっと、まるで壊れ物でも扱うような繊細な手付きで会長に抱き上げられ、先程まで身体を蝕んでいたはずの気色悪さや嘔吐感が次第に溶けていき、獣の息遣いが遠退いて行くのを感じた。
頼稀によってキツく戒められた左手が解放され、擦れて痛みを覚えたはずの手首が血流が良くなったせいで熱くてむず痒い。
身体の熱は消えるどころか益々熱くなっていくようだ。
相手への嫌悪感がなくなったせいで、逆に体温が上がったのだろうか。
どう動いても快感を呼び起こされる気がして、会長に抱かれながら震える唇を噛み締めていた。



「ふ、じおか…、怪我は、それに…っ」

「リカ…」



不安そうに俺の顔を覗き込む、彼等。
声に出したら余計なことを言ってしまいそうで、俺は「大丈夫」の意味を込めて笑顔を作った。
そうしたことで彼等が不安げな表情から悲しげな表情へと変化するとは思わずに。
そんな顔をして欲しいわけじゃない。
ただ大丈夫だと言うことを伝えたかっただけなのに、薬のせいで思うようにいかなかった。



「ご、め…」

「謝るな。このまま運ぶぞ」

「いい、自分で、歩け……ぁっ…」

「っ、……大人しくしてろ」



会長が歩き出した途端、電気のような感覚が全身に走り思わず声が上がった。
腹の底に溜まる熱が膨れ上がって身を捩ったが、どうしたって逃げ場がなくて、とりあえず自分を抱える会長のワイシャツを覚束ない指で掴んだ。
ワイシャツが皺になるとか、返り血が着くとか、最早構っていられない。
会長の腕の中でそっと視線を上げると、普段からムスッとした表情が更に険しさを増していた。
会長の事情は知らないが、こちらは身体が熱くて仕方なくて、縋るべき相手ではないと言う考えも熱に溶けて跡形もなかった。



苦しくて、熱くて、今すぐにでも吐き出したい。



「目、瞑ってろ」



柔らかい甘い声が耳に落とされて、自然と瞼が落ちていく。



抱き寄せてくれる腕と体温が心地良い。
熱に浮かされているからではなく、意識が朦朧としているせいでもなく、ただただこの温もりを手放したくないと思ってしまった。


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