歪んだ月が愛しくて2



「―――そ、そんなことでいいですか?」

「そんなこと?俺にとっては結構重要なことなんだけど」



あれから岩城くんに土下座を辞めさせて保健室までの道のりを2人で歩いていた。



「いや、すいません。そうですよね…、俺にとっては“そんなこと”でも人それぞれ違いますもんね」

「そうそう。何もかも自分基準で判断してたら自分善がりな人間になっちゃうよ」

「はい、気を付けます兄貴」

「いや待って、兄貴はやめて」

「でも俺は兄貴の舎弟ですから、兄貴と呼ぶのが一番かと…」

「あのさ、それって友達とかじゃダメなの?態々舎弟関係にすることなくない?」

「ダメです!兄貴を友達だなんて馴れ馴れしいです!俺は舎弟で十分……いえ、寧ろ下僕で十分ですから!」

「それ舎弟よりランク下がってるから!」



“お願い”を聞いてもらう代わりに公認の舎弟となった、岩城くん。
中庭で襲って来た時も、教室に突撃して来た時も、大して興味なかったから気に留めていなかったが、後ろを刈り上げた深いブラウンの短髪に男らしい濃い眉毛と彫りの深い目元が特徴の岩城くんは一言で言うと強面のイケメンだ。身長も180以上あるように見えるし、体付きも高校生にしては筋肉質だから我孫子と並んでも引けを取らないだろう。
そんな岩城くんはGDの幹部で、我孫子の右腕的存在らしい。そして会長と同級生の3年生。そんな人に兄貴呼ばわりされるのはいくら何でも気が引ける。



「兄貴、保健室には何の用で行くんですか?」



直す気ねぇなコイツ。



「あー…ちょっと消毒液を借りたくて…」

「え、どこか怪我したんですか!?」

「いや、怪我って言うかちょっと引っ掻かれたから念のために消毒しとけって言われて…」

「言われたって、誰にですか?」

「……猫使い?」

「はい?猫使いって何ですか?」

「猫使いは猫使いだよ」



瑞樹の説明は難しい。
そもそも瑞樹のフルネームも知らないし、年上らしいけど学年もクラスも分からない。
そんな人をどうやって説明すればいいものか。



「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、同じクラスとか知り合いに“瑞樹”って名前の人いたりする?」

「“瑞樹”、ですか…?さあ、俺の知ってる奴にそんな名前の奴はいませんけど」

「そっか…」



だよな。

普通名前だけじゃ分からねぇよな。



「あ、ここッスね」

「……ん?」



保健室の前で足を止めると、不思議に思った岩城くんが俺の顔を覗き込む。



「どうしましたか?」

「いや、何か声が…」

「あ、本当ですね。先客かな?」



微かに聞こえる複数の声。

先客がいることは間違いないようだが、それにしてもこの声は…。



咄嗟に保健室のドアを開けようとする岩城くんの手首を掴んで制止する。
俺の雰囲気に何かを察した岩城くんは俺に手首を掴まれたままピタッと動きを止めた。



ピンッと、空気が張る。



室内から聞こえる怒声に緊張感が増す。



ごくりと息を飲む、岩城くん。



ジッと見据えていると、突然保健室のドアが内側から開かれた。



「ああ、クソッ、俺にどうしろって言うんだよ!?」



そこから現れたのは陽嗣先輩だった。
陽嗣先輩は保健室の中にいる誰かに対して不満を吐き捨てながら内側からドアを開けた。
やり場のない怒りを紛らわすように朱色の髪を掻き上げる陽嗣先輩は、俺と目が合った瞬間これ以上ないくらい驚いた表情を見せた。



「り、りっちゃん!?何でここに…!?」

「どうしたんですかそんな大きな声出して?何かあったんですか?」

「ま、待った!中には…っ」



陽嗣先輩とドアの隙間から室内の様子を窺うも、陽嗣先輩が邪魔してよく見えない。





「―――え、」





でも、一瞬だけ見えた。

室内に広がる光景に目を見開く。



そのすぐ近くで陽嗣先輩が息を飲む音が聞こえた。



窓からの夕日で満ちたオレンジ色の室内には、金色の王様。

そんな彼の膝の上に座り、彼の首に自身の腕を絡める―――女性の姿。





「あら?君は…」





茶髪の長い髪が、ふわりと揺れる。





「ああ、やっぱりそうか…。ふふっ、あの方々が寵愛するのも無理ないわね」





媚びるような、甘い声。





「初めまして、藤岡立夏くん」





ドクンと、鼓動が叫ぶ。


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