歪んだ月が愛しくて2
「なあ、これ誰にやられた?俺以外の誰がお前に触れた?」
自覚した感情が勝手に騒ぎ出す。
いざ自分の気持ちに気付いてしまうと会長との距離が急に恥ずかしくなって、俺の頭に触れる会長の大きな手の感触と仄かに香るシトラスの匂いと気怠そうな息遣いにカアッと顔が赤くなる。
意識をすればするほど緊張で指先が震え、心臓が煩いくらいに音を立て始める。
「これを付けた奴は良くて、俺はダメなのか?」
「………」
「俺に触れられるのはそんなに嫌だったか…?」
「ち、違うっ!!」
咄嗟に否定すると、会長の手がピクリと揺れて驚いた表情を見せた。
「違うんだよ、そうじゃなくて…っ。前にも言ったけど、本当嫌とかじゃなくて、ただ申し訳なくて…」
「申し訳ない?」
「だって…、本当その通りじゃん。いくら薬のせいとは言え、あんなこと会長にさせちゃった上にみっともない姿まで見られて…っ。それに会長には決まった相手がいると思ってたから俺のせいで変な誤解をさせちゃったら申し訳ないって思って…、だから会長に合わせる顔がなくて…」
「………」
「だから、本当に会長が嫌とかじゃなくて、寧ろ今は助けてくれたのが会長で良かったと思って、るし…」
不意に会長の大きな手が俺の手を握る。
「キスマークを付けた奴よりも、俺で良かった…?」
「っ、………う、ん」
会長はいつもの傲岸不遜な態度ではなく縋るような切ない声を出すものだから、何故だか目が離せなくなってつい本音を口走っていた。
一瞬でも気を抜けば吸い込まれそうになる黒曜石の瞳には俺だけが映っている。
きっと真っ赤になっているであろう俺の顔に息を飲んだ後、会長は俺の本心を探るかのようにジッと見つめて来る。
互いに無言のまま息苦しい沈黙の後、ゆっくりと顔を近付けて来る会長に俺はさもそれが当然のように自然と目を閉じていた。
先程までコーヒーを飲んでいたためマスクを下げたままの口元の柔らかな皮膚に、生温かい吐息が掛かる。
唇と唇が触れ合うかと思ったその時、何か重みのあるものが空を切る音とそれを受け止めたような音が耳に届いた。
「あ、ごっめーん。手が滑っちゃった」
「チッ」
沈黙を破ったのは未空の単調で棒読みな台詞と会長の舌打ちだった。
会長の右手には先程までなかったはずの缶コーヒーが握られていた。
「み、未空っ!?」
「……テメー、態とだろう?」
「何のこと?てか、2人共休憩長過ぎ。しかも至近距離からジーッと見つめ合っちゃって何かムカつくんだけど」
「べ、別に見つめ合ってなんか…っ」
「お前には関係ねぇだろうが」
いや、そこはまず先に否定しろよ。
「関係なくないよ。だってそれ付けたのは俺なんだから」
そう言って未空が指差したのは俺の首筋にあるキスマークだった。
「あ?」
「昨日はね、リカがずっと俺を甘やかしてくれたからこう言うことも許してくれたんだよ」
「………」
いやいや、バチバチって何?
よく分かんないけど、火花飛び散ってるんですけど?
「それだけじゃないよ。風呂上がりに髪乾かしてくれたり、手料理をご馳走してくれたり、一緒のベッドで寝てくれたり…。ねぇ、リカ?」
「確かに、そうだけど…」
「ほら、これで分かったでしょう。リカは俺のなんだからみーこはあっち行っててよ、シッシッ」
「テメー…」
「あのさ、俺は俺のだから別に誰のものでもないよ。てか、未空を甘やかすのは昨日だけって言ったのにこれ付けたのは今朝だよね?誰がいつこんなの付けていいって言ったっけ?」
「えっ!?そ、それは、リカが寝言で…っ」
「それ絶対嘘。寝てる時未空に声掛けられたら俺絶対起きるもん」
「ご、ごめんなさいっ!!リカが寝てる時に勝手に付けましたぁあああ!!」
「はぁ…。何でよりによってこんな目立つところに付けるかな。これのせいで朝から散々な目に遭ってるんだけど」
「いや、ほんの出来心で…。みーこは兎も角、まさか汐まで暴走するとは思わなくて。でも汐に襲われそうになった時はちゃんと間に合ったんだからセーフだよね?」
「いや、セーフって何?未空がこんなの付けなければそもそも汐が逆上することもなかったんだけど。少しは反省しなさい」
「はんせーい!」
「全然反省する気ないでしょう…」
お前は日光江戸村の猿か?
普段は猿扱いされると怒るくせに、こう言う時だけ都合良く猿真似すんな。