歪んだ月が愛しくて2
カチャッ、
その音に、子供は一瞬泣きそうな表情を見せた。
ガタガタと身体を震わせるくせに、鳶色の瞳に浮かぶ殺意は健在のようで感心した。
そんな子供から視線を外して、ゆっくりと顔を上げる。
「……物騒だな。俺に当たったらどうしてくれんだよ」
「俺がそんなヘマすっかよ。いいからそこを退け」
「嫌だって言ったら?」
「あ?」
そう言うとヤエは不機嫌そうに眉を顰めた。
まあ、ヤエの場合はこれが通常運転だから分かる奴にしか分からないと思うが。
「これは、俺が飼う」
後から聞いた話、この時のヤエは誰が見ても一目で分かるくらいかなりキレてたらしい。
「……あ?」
「今回のバイト代はこれでいい」
「テメー…、ふざけてんのか?」
「この状況で冗談が言えるほど、俺は図太くねぇよ」
「嘘吐けや。テメーほど神経図太い奴は早々いねぇよ。今もこの状況で俺相手にそんなふざけたこと言えんのはお前くらいなもんだ」
「そんな俺の我儘をいつも聞いてくれる優しいわんちゃんはどこのどいつかな?」
「……チッ、減らず口が」
舌打ちと共に、ヤエが渋々拳銃を下ろす。
胸に巻き付けたホルスターに拳銃を収めると室内の空気が幾分か和らいだように感じたが、未だ俺の下で反乱狂に叫ぶ子供のせいで現実へと引き戻された。
子供の口から放たれる言葉はどれも奇声に近い罵声で、興奮のあまり殆ど聞き取ることが出来なかった。
唯一聞き取れた言葉は「ぶっ殺す」だけ。
それほどまでにこの子供が追い詰められていると言うことだろう。
命乞いではなく殺意を向けて来るとは、改めて感心する。
一見命知らずで愚かな行為だが、俺の関心を引くには十分なものだった。
子供を畳に押さえ付けながら左手で子供の頭に触れようとすると、子供の殺気が一気に俺へと注がれる。
研ぎ澄まされた鋭い牙を立て、殺意の籠った鳶色の瞳が俺を射殺そうとする。
その姿は正しく獣のようだった。
「あはっ、可愛いなお前」
「そんな薄汚ぇ野良犬のどこが気に入ったんだか…」
ヤエの面白くなさそうな声と鋭い瞳が子供を捕らえる。
どこって、強いて言えば…。
「……目、かな」
生きることを諦めない、力強い目。
そのためならどんなことにも手を染める、意地汚い目。
決して純粋で綺麗なものじゃない。
でもそこが気に入った。
この子供には獣の素質が十分ある。
「ああ、そうかよ」
思ったことをそのまま口に出すと、ヤエは何故か不貞腐れた様子で懐の煙草に手を伸ばした。
イマイチ、ヤエのスイッチが分かんねぇんだよな。
まあ、指摘すんのも面倒臭ぇからスルーすっけど。
「でもな、お前も知っての通り、今回の仕事は井桁組の壊滅だ。うちにケツ振ったフリして他所に情報を流してたどこぞの蛆虫野郎を粛清するためのな」
「………」
「腐った膿は半端に処理すっとまた次から次へと湧いて来やがる。だから兵隊だろうと何だろうと容赦しねぇ。お前だって分かってんだろうが」
「……ああ」
適当に相槌を打って、手近なナイフに手を伸ばす。
そのナイフは先程子供が所持していたもので、柄には八重樫組のものでも井桁組のものでもない代紋が彫られていた。
「お前が言いたいことは分かった」
無機質な声色に、子供の身体がビクッと強張る。
鳶色の瞳にはナイフを振り翳す俺の姿が映し出されていた。
「だったら、これで満足か?」
「、」
「っ!?」
ザッと、振り下ろした感覚は何とも呆気なかった。
手応えがなくて、物足りなくて、二度とこんな面倒な真似はしたくないと思った。
「―――、………え…」
ハラハラと、黒い髪が畳の上に舞い散る。
怯え切った顔が、俺の下にいるせいで更に不憫に見えてしまう。
ああ、切り過ぎちゃったかな。
そんな顔させたかったわけじゃないのに。
「シ、ロ…」
それでもこんな回りくどいやり方を選んだのは、ヤエの顔を立てるためだった。
それと…、
「―――たった今、井桁の犬は死んだ。これからは俺だけの獣として生きろ」
この子供の顔を、ちゃんと見てみたかったからでもある。
「分かったな?」
「っ、………、…」
意外にも子供はすんなりと降伏した。
先程までの態度とは打って変わり、首が捥げるんじゃないかってくらいブンブン振って俺を見上げて涙を流していた。
そういやハクも初対面の時……じゃなくて、再開した時に泣いてたな。
そんなことを考えながら、鳶色の瞳から溢れる涙を指で拭った。