歪んだ月が愛しくて2



「―――落ち着いた?」

「……ごめん。またやった」



ナツは俺の胴体に抱き付いたまま腕を緩めることなく深く頷いた。
ゆっくりと顔を上げたナツの目尻には薄らと涙の跡が残っていて、それを指でなぞって不安を払拭させるように笑った。



「いいよ。俺、生意気なナツも好きだけど素直なナツも大好きだから」

「……悪趣味」

「それでも好き」

「っ、本当シロは趣味が悪いよね!」



口ではそう言うくせに、ナツは甘えたように頭を擦り付けて喉を鳴らす。



本当、俺の獣は可愛いな。

可愛くて、可愛くて、どうしようもない。





『俺、いらない…?』





……いらないわけがない。



忘れたくても、忘れようとしても、忘れられなかった尊い日々がナツと再開したことで痛いほど思い知らされた。

俺の大切なものはあの頃から何一つ変わっていない。



でも、だからこそ、今は口に出すべきじゃない。



際限ないこの感情は、きっと一度口に出してしまったら取り返しがつかなくなってしまう。



そうなったら俺はもう自分の足で立つことが出来ないかもしれない。



幸せの日々に浸って、心地良い関係に溺れて、足掻くことをやめてしまったら…。





『…ごめん、シロ……』





グッと、嫌な記憶を掻き消すように奥歯を噛み締める。



……終わらせよう。

幸せの日々に浸るのも、心地良い関係に溺れるのも、全て終わってからでも遅くはない。



Prrr…と、俺の思考を掻き消したのは初期設定のままの着信音だった。
ナツは自分のスマートフォンを取り出してディスプレイに表示された名前を見ると深い溜息を吐いた。



「はぁ…、もう時間切れみたい」

「アイツは?」

「歓楽街に入ってすぐの花屋、その近くの裏路地にいると思う。一箇所に留まってるような奴じゃないから正確な場所は分からないけど、どうせ暇潰しにその辺のチンピラ相手に喧嘩売ってると思うからすぐ見つかると思うよ」

「分かった」

「事務所の入り口は店長に見張らせるから、シロはその窓から外に出て同じように帰って来て。間違っても表から入って来ないでね。それと外の連中には修理に関する手続きが長引いてるって言っとくからそのつもりで。俺も長居する気は更々ないけど、時間稼ぎくらいならしといてあげる。シロが帰って来る前には帰るけどね」

「気遣ってもらってごめんな。ナツ達には迷惑掛けないように上手くやるから」

「シロの時間を金で買ったのは俺達だよ。どう考えても迷惑掛けてるのは俺達の方なんだからシロは余計なこと考えないでよ」



優しいな、本当。



本心では行かせたくないくせに俺との時間を平等にヤエにも与えようとしている。
俺的にはもう少し狡賢く生きてもいいと思うけど、そこはあえてヤエのようにならないために抵抗しているのかもしれない。
まあ、ナツはナツだから素直でも狡賢くてもどっちでもいいんだけどさ。



「店長、店のもん壊して本当にすいませんでした。それと色々と驚かしちゃったと思うけど、出来れば今日のことは俺達3人だけの秘密ってことでお願いします」

「は、は、はい!それは勿論…っ、決して口外しません!」

「ありがとう」



少し不便だけど、店長のことはナツに任せよう。
ナツが目を光らせていれば下手に口を滑らすことはないだろう。



「じゃ、またなナツ」



机の上に置いた帽子とマスクを手に取りナツに背を向けた直後、後ろからクイッとTシャツの裾を掴まれた。



「……ねぇ、もう一つだけ教えて」

「ん?」



ナツは長い睫毛を伏せて、キュッと口元を引き締めた。

それから震える唇を抑えるように一度唇を噛んで、離して、瞼を開いた。



鳶色の瞳が真っ直ぐに俺を射抜いて。



「俺と…、俺達と外にいる連中、どっちがシロにとって大切…?」



切なさを滲ませた声で、そう言った。



「………」



安心させてやりたい。

この弱々しい獣に本物の温もりを教えてあげたい。

ここにいていいんだよって、ここがナツの帰る場所だよって、教えてあげたい。



だから本当はナツだけだよ、って言えたら良かったんだけど…。



「どっちも」



ナツを安心させるようにその頭をわしゃわしゃと掻き混ぜて、ナツの返答を聞く前に帽子とマスクを装着して事務所の窓から外に出た。















「―――そう言うところだよ、人誑し…」


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