歪んだ月が愛しくて2
「―――ガッ!!」
軽く振り上げた足が、未だ地面に座り込んだままのヤエの顎に直撃した。
ここに一発入れとけば後で効果が現れるだろう。
ヤエのような体力お化けと正面からやり合うのはフェアじゃない。
ヤエの身体が軽く浮いた隙に、右足を振り切ってヤエの顔面に横から蹴りを入れた。
俗に言うイケメンフェイスがどうなろうと知ったことか。さっきのお返しだ。
口元を切ったようだが、ヤエはそんなことお構いなしに吹っ飛ばされた衝撃を利用して体勢を持ち直して俺に向かって来た。
「っ、やりゃ出来んじゃねぇかぁああああ!!」
フェイントのつもりか、裏路地に転がっていたゴミ袋を片手で掴み、俺の視界を遮るようにそれを投げ付けると、ヤエは体勢を低くして俺の間合いに入って来た。
その一連の動きが見えていたので、ゴミ袋を避けて、ヤエに足を払われる直前にヤエの顔面に回し蹴りを決めたが、倒れることなく踏み止まった。
蹴られた頬を手の甲で舐め上げるヤエは、獰猛な獣そのものだった。
夜風がヤエの水浅葱色の髪を、さらりと捲る。
その瞳も、険しく鋭い。
でもその口元には好戦的な笑みを浮かべていた。
「オラオラどうしたよ!テメーはこんなもんじゃねぇよなぁあああ!!俺を楽しませてくれんじゃなかったのかぁあああん!!」
(十分楽しそうじゃねぇか…)
これだろう?
お前が求めてたものは。
手加減も、煩わしい周囲の視線や制止の声も、そんな面倒臭ぇ枷を取っ払った状態で思う存分暴れたかったんだろう。
そんなお前と遊んでやれんのは限られてるからな。
公平は論外、ナツとカイは発展途上中、ハクとヤエの相性は最悪だから下手したらどっちかが死人になる。
だから俺しかいないんだろう。
こんなお前の相手が出来るのも、止められんのも。
ヤエの拳が俺の顔面を捕らえる。
それと同時に俺の膝がヤエの腹にめり込んだ。
しかし互いに怯む様子はなく、両者の拳と蹴りが次々と繰り出される。
ブハッと、ヤエの鼻から出た赤い血が月明かりに舞う。
誰かの息を飲む音がした。
意に沿わずとも注目を浴びているのは分かっていた。
こんな人気のない裏路地だが歓楽街のど真ん中だ。
それも相手は白羊で一二を争う猛獣同士のタイマンと来れば興味を惹かれないわけがない。
正直、今の俺を“白夜叉”と認識しているかは不明だが、ヤエとまともにやり合える時点で嫌煙されているに違いない。
ただ巻き込まれたら一巻の終わりとでも思っているのか、決してこちらに近付いて来る者はいなかった。
「どうだ?尻尾振る気になったか?」
「ハッ、飼育放棄した飼い主に振る尻尾はねぇなぁ…っ」
「……正論だな」
瞬間、目の前に迫るヤエの腕。
条件反射でそれを払い退け、退き際にヤエの腹に肘鉄をくれてやる。
僅かによろめいた隙を逃さず足を払って引き倒した。
間髪入れず体重を乗せた膝を鳩尾に落とせばヤエの表情が苦悶に歪む。
そのままヤエの上に馬乗りになり動きを封じ込める。
……ごめんな。
一度は背を向けたくせに、結局は何一つ捨てることが出来なくて。
自分勝手で最低な飼い主だと、罵って殴ってくれて構わない。
どんな批難も恨言も、ちゃんと受け止めるから。
だから、もう一度だけ…、
「―――なら、思い出させてやる」
口角を緩やかに上げて、右手を振り被る。
「誰がテメーの飼い主か、テメーが誰の飼い犬か、その目ん玉見開いてよーく見とけ」
「、」
フルスイングの拳がヤエの頬に炸裂する。
骨と骨がぶつかり合うような鈍い音が裏路地に響き渡る。