エリート外科医の蕩ける治療
「そもそも、そのボンキュッボンって表現がよくわからないけど」

「すみません、おばあちゃんの影響で語彙が昭和です」

「いや、そういうことを言ってるんじゃなくて。マリエに何か言われたのか?」

杏子は押し黙る。言いづらそうに視線が泳いだ。
焦りがつのる。俺は杏子にあの事(・・・)を知られたくない。

「一真さん、マリエ先生と何で別れたの?」

「……好きじゃなくなったから」

「マリエ先生と何があったの?」

「別に何もないよ」

「何もなくて別れないですよね。マリエ先生が言ってました。治ったんだ、よかったって」

イライラする。なんでそんなことを聞くんだ。マリエは杏子に何を吹き込んだ。何かを疑われている気がして、気分が悪い。悪いのは俺か、杏子か、マリエか。頭に血が上って何も考えられなくなった。

「何で目をそらすの。何か隠してる? やっぱり一真さん病気?」

「何でもないって言ってるだろ」

「だって!」

「しつこい!」

酷く冷たい声だったと思う。杏子は黙って俯いた。イライラした気持ちが、あれもこれも杏子を責めようと言葉が出てきそうになる。ここで口を開いたら、歯止めがきかなくなる気がした。

どれくらいそうしていたのだろうか。新たに客が入ってきたのをきっかけに、止まっていた時が動き出す。俺はその客と入れ違いに、病院へ戻った。

腹が立って腹が立って、叫びたくなる。
だけど、杏子の今にも泣きだしそうな顔を思い出して胸が痛んだ。腹が立っているのは杏子にではない。マリエもどうだっていい。本当に腹が立っているのは、自分自身にだ。

杏子のことが好きなのに、ずっと杏子のことを騙している。俺は本当は先生なんかじゃなくて、杏子の純粋さと優しさに甘えているだけなんだ。それなのに俺は、また杏子が悪いように振舞って……。

「くそっ」

人目も憚らず悪態をつく。

「院内ではお行儀よくしましょう」

通りすがりの俊介に、これ見よがしに注意された。それもまたむかつく。だけど外来診察が終わっている時間でよかったと思う真面目な感情も、まだ持ち合わせていたらしい。おかげで少しだけ冷静さを取り戻せた。
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