隠れる夜の月
「あれ、それだけ?」
「なんだよ、それだけって」
「元教育係としてじゃなくて、個人的な意見はないのかよ」
「個人的?」
おうむ返しに問うと、向山は含みのある笑みを浮かべる。
「綺麗になったなとか、あの子の弁当がまた食べたい、とか」
「ばか言え」
間髪を容れずに即答した。
「後輩相手にいちいちそんなこと思うか。しっかり仕事できてるみたいでよかった、それだけだよ」
「ふうん?」
正直に説明したにもかかわらず、同期の意味ありげな表情は変わらない。
「……なんなんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「お言葉に甘えて聞いてやるよ。おまえあの子のこと、ほんとに何とも思ってないのか」
ふいに真面目な顔つきで聞かれ、今度は一瞬口ごもった。だが。
「女として意識してるかって意味なら、そうじゃない」
「ほんとか?」
「しつこいな。瑞原は優秀な後輩。そういう意味では可愛い気がしなくもないけど、個人的な含みは一切ねえよ。妹か従妹みたいなもん」
「妹か従妹、ねぇ」
これ以上この話を続けたい気分ではなく、さらに言えば始業時間はとっくに過ぎている。一刻も早く課室に戻るべく、拓己はロッカー室への歩みを速めた。向山は付いてこなかった。
だから、一人になった彼がこうつぶやいていたのを、拓己は知らない。
「──そうは見えないけどな、全然」