隠れる夜の月


 瑞原三花と出会ったのは、五年前の五月。
 新入社員研修を終えた彼女が、営業一課に配属されてきた日が初対面だった。

「本日よりこちらでお世話になります、瑞原と申します」

 その日、一課に来た新人は他にも数人いた。色の濃いスーツとピンと伸びた背筋は同じだったが、全員が一様に緊張を漂わせる中、三花は誰よりもはきはきとした声で挨拶していた。

「ご迷惑をお掛けすることもあると思いますが、一日でも早く、営業事務として一人前になってお役に立てるよう頑張ります。よろしくお願いいたします!」

 よく通る声は課室を快い響きと、それに応える温かい拍手で満たした。

 その後、各々が教育係となる課員に紹介されていき、三花が拓己の所に来たのは一番最後だった。

「長倉くん、君には瑞原さんを担当してもらう。よろしく頼むよ」
「承知しました、課長」
「ああ、瑞原さん」

 そこで声を心持ち潜め、営業一課長は三花に耳打ちするように言った。

「聞いているだろうけど、彼はここの跡取りだからね。失礼がないようによくよく注意してくれ」

 上司のお節介に、反射的に拓己はイラっとする。余計なことを言って新人の緊張を煽るなという思いと、その「忠告」に含まれた上層部におもねる響きに。
 はい、と三花が短く応じると、課長は二度ほど振り返りながら自席に戻っていった。

 横に向き直ると、割り当てられた机、イコール拓己の左隣席の前で、身体の前で軽く手を握り合わせた三花は直立不動になっている。先ほどの挨拶の時とは打って変わり、貼り付けたような固い顔つきの彼女は、切り出されたばかりの木材のようだった。
< 12 / 102 >

この作品をシェア

pagetop